食わず女房の昔話は、物を食わないと偽って嫁にしてもらった女が実は人食い鬼だったという話で、亭主はあやうく食われそうになるが、菖蒲の林に逃げ込んで助かったという内容のものである。菖蒲の季節を舞台にしているので、かつて全国各地でみられた菖蒲を吊るして厄除けをする民俗や、その背景にある女のふきごもり(女の家)の行事との関連が指摘されている。
典型的な話の筋は次のようなものである。
欲の深い男が飯を食わない女を女房にしたいと思っていると、一人の女が現れて「飯を食わないから女房にしてくれ」という。男は喜んで女房にするが、女は男のいないすきに一升飯を炊いて、頭髪を掻き分けて頭の中から大きな口を出すと、次々に握り飯を作っては、頭の上の口へも顔の中の口へも放り込む。話によっては、頭ではなく股の間の口へ放り込むというものもある。
怪しんだ男が「もうお前に用はないから出て行け」というと、女は手切れに何かくれという。男はそこにある桶をやるから持っていけという。すると鬼の正体を現した女は男を桶に入れて担いでいく。
女が山の中に入っていくと、男は桶から身を乗り出し、木の枝に手をかけて逃れ出る。そうとは知らず、女鬼は山奥にたどり着くと鬼の子を集めて男を食おうとする。しかし男の姿は跡形もない。
女鬼が男を追いかけて戻ってくると、男は菖蒲の陰に隠れて難を逃れようとする。女鬼はそこに男が隠れていることに気づくが、「菖蒲は鬼には毒で、触ると体がとける」といって帰ってしまう。
この話の眼目は二つある。人を食う恐ろしい鬼というイメージと、菖蒲が魔よけになるという観念である。
人を食う恐ろしい鬼は、安達が原の鬼婆を始め陰惨なイメージで描かれることが多いが、この話では「食わず女房」という反語的な表現がなされているとおり、ややひねった内容となっている。鬼としての恐ろしさは、頭の中から大きな口を出し、そこに飲み込むというイメージで表されているが、この話では男は機転を利かせて逃げ延びることになっている。
女鬼が桶を担いで山の中へ入っていくというイメージは、死者を棺桶に入れて、山中の墓場に葬りにゆくという、古代の葬送の儀式を反映しているのかもしれない。鬼は山にひそむ死霊としてイメージされていたものだから、そこに連れ込まれることは、死の隠喩でもあっただろう。
菖蒲は端午の節句が別名を菖蒲の節句ともいうように、昔から五月の節句に縁が深いものであった。菖蒲湯はいまでは夏至の日に入るものだが、陰暦では端午の節句は六月の半ば頃にあたっていたので、おそらく新暦に移り変わるに際して、端午の節句から夏至の行事へと変わったのかもしれない。いづれにしても、菖蒲には厄除けの意味が持たされていたのだろう。それが「食わず女房」の話の中では、鬼を追っ払う効用へとつながっている。
菖蒲はまた、それでもって屋根を葺いた小屋をつくり、端午の節句の前夜に女たちがその小屋に集まってこもるという風習が、かつての日本にはあちこちで見られた。女の家と呼ばれるものである。
宗教民俗学者の五来重は、この女の家を厄除けと関連させて考察している。旧暦の五月は陰湿で厄病が流行りやすい時期であるとともに、また田植えの時期でもあった。そこでこれから田植えをしようとするときに、大事な働き手である女たちを厄払いして、清浄な体にしよう、そういった思惑がこの行事には秘められているのではないかと考えたのである。
五月は「さつき」というが、それは「さ」つまり田の神を祭る月を意味する。そして女は「さおとめ」として田の神に仕える身でもある。女の家に集まって女たちがイミゴモリをするのは、田植えに先立って身を清浄にするための儀式だった。そのイミゴモリのための小屋に、菖蒲が用いられたのには、中国からの影響があったのかもしれない。
こうしてみると、「食わず女房」のような他愛ない昔話のうちにも、日本人の民族的な想像力が潜んでいることが察せられるのである。
(参考)五来重「鬼むかし」
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