日本語と日本文化


天狗の話:山の神と山伏


天狗といえば、鬼や山姥とならんで日本の妖怪変化の代表格といえる。天狗を主題にした物語や絵ときものが古来夥しく作られてきたことからも、それが我が民族の想像力にいかに深く根ざしてきたかがわかる。中でも能には、天狗を主人公にしたものがいくつもあり、いずれも勇壮な立ち居振る舞いや痛快な筋運びが人びとの人気を博してきた。

能の天狗ものの代表格は「鞍馬天狗」であろう。これは鞍馬山に年経て住める大天狗が、義経に剣の手ほどきを行い、平家打倒に備えるという筋書きになっている。その大天狗が名乗りを上げる部分を、謡曲は次のように描いている。

後シテ「そも/\これは。鞍馬の奥僧正が谷に。年経て住める。大天狗なり。
地「まづ御供の天狗は。誰々ぞ筑紫には。
シテ「彦山の豊前坊。
地「四州には。
シテ「白峯の。相模坊。大山の伯耆坊。
地「飯綱の三郎富士太郎。大峯の前鬼が一党葛城高間。よそまでもあるまじ。邊土においては。
シテ「比良。
地「横川。
シテ「如意が嶽。
地「我慢高雄の峯に住んで。人の為には愛宕山。霞とたなびき雲となつて。月は鞍馬の僧正が。
地「谷に満ち/\峯をうごかし。嵐こがらし滝の音。天狗だふしはおびたたしや

名乗りから伺われるとおり、日本の主だった山々にはそれぞれ天狗が住みつき、中でも鞍馬の天狗は大天狗として、首領格であると主張されている。

この天狗とはいったいどういうものなのか。まずその面相を見ると、今日鞍馬山に存置されている天狗の像は赤ら顔に大きく飛び出た鼻を持っていることが特徴的だ。これはいうまでもなく記紀神話に出てくる猿田彦の面相を髣髴とさせる。これが関東では鎌倉の建長寺や高尾山の天狗のようにカラスの嘴がついていたりする。

だがいずれの天狗も山伏のいでたちをしていることでは共通している。

天狗が山伏の印象と結びついたのは鎌倉時代だろうといわれている。平安時代には天狗は明確な像としては意識されておらず、中国の言い伝えを採用して流星であるとされたり、地上に災いをもたらす天の妖怪として観念されていた。

日本人にはもともと、祖霊信仰としての山岳信仰があった。祖霊のうちでも人に取り付いて害をなすものは怨霊として痛く恐れられていた。平安時代最大の怨霊に菅原道真のものがあるが、それが国を挙げて恐怖の対象になり、道真の怨霊を静めるための祭が今日の祇園祭に発展したほどなのは、日本人に古来伝わる霊魂観が底にあったからである。

怨霊のうちでも多くのものは山に住むと観念され、それは鬼という形をとって人々を恐れさせた。天狗もいつしかこの鬼の一種として、妖怪変化の中に取り込まれていったと思われるのである。

天狗が山伏という人間の姿と結びついたのには、さまざまな事情があったのだろう。山伏は修験道といって、厳しい山岳修行で知られ、山中を自由自在に駆け巡るというイメージが強かった。それが天を駆け巡るようにも受け取られたので、天狗の観念と結びついたのではないか。

それ以上に、山伏自体の出自にかかわる事情もある。山伏は大峰や比叡山を拠点に、大きな寺院に従属して、大衆として寺院の雑役に従事していた。それ以前には、山伏の先祖たちは山岳の神をつかさどる立場にあったものと考えられる。これらの山岳に伝教大師や弘法大師が仏教の拠点を開くようになると、山伏の祖先たちは寺院に降伏してその下役になるか、寺院に反逆して放浪の旅に出る事を選んだ。

こうした事情を物語るものに「鞍馬寺縁起」がある。それによれば藤原伊勢人がこの地で観音の像を見出し、それを本尊として鞍馬寺を建てるのであるが、この地には既に鞍馬山に年経て住める神がいた。その神は観音の威力に降伏し、そのかわりに魔王尊として祭られる。それがいまいう鬼の姿になったのである。

山伏はこの魔王尊にかかわりあるものとして観念された。つまり鬼の子孫であるという性格付けを持たされたのである。

このほか、大江山の昔話では、酒呑童子はもと比叡山の山の神であったのが、伝教大師に追われて全国を放浪した挙句、大江山に落ち着いたのだということになっている。

こうしてみると、日本の山にはもともと山の神が住んでいたのが、仏に追われて放浪の鬼になったとする信仰が古来あったことがわかる。その鬼が山々を駆け巡る山伏の姿と結びついて、山伏姿の鬼、つまり天狗の形になったのではないか。

なお、天狗にカラスを結びつけるのは、天狗の話が芸能化したためだという説が強い。これにもいわくがありそうである。カラスはやた烏に見られるように、古来霊的な鳥だとも受け取られてきた。古墳の周りに住み着いて、高貴な人の霊を守るのだとする言い伝えもある。こうしたカラスの霊性が、天狗のイメージとどこかで結びついたのかもしれない。


    


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