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雪:西行を読む |
冬の景物といえばやはり雪ということになる。古今集の冬の部は大部分が雪の歌である。山家集の冬の部には八十七首中二十数首雪を歌った歌が収められている。雪は隠遁生活に慣れていた西行にとっては、隠遁の趣を更に深めるものでもあり、良きにつけ悪しきにつけ、深い感慨をもたらすものだった。 大岡信がいうように(「四季の歌恋の歌」)、古今集の冬の部の歌には吉野の雪を歌ったものが多い。吉野は都の人々にとっては、奈良の奥にあるところで、天武天皇の伝説と結びついたりして神秘的なイメージを搔き立てる場所であった。また修験道などとも結びついて宗教的なイメージをも帯び、高野山と並んで隠者の遁世というイメージとも結びついた。そんな吉野が雪と深く結びついたのは、雪の持つさびしさのイメージが隠遁のさびしさと結びついたからだと思われる。 ともあれ古今集の中で吉野を歌った歌はすべて吉野に降る雪を歌っている。 ゆふされば衣手さむしみ吉野の吉野の山にみ雪ふるらし(古317) みよしのの山の白雪ふみわけて入りしに人のおとれずもせぬ(古327) 一首目は、夕方になって衣手の寒さを感じ、こんなに寒いなら吉野の山には雪が降っているにちがいないと歌ったもので、ごく単純な感情を詠んだものだ。二首目は、吉野の山の白雪を踏み分けて山に修行に入った人が、そのまま雪に閉じ込められて長い間訪れがないと歌ったものだ。吉野が修行者の隠遁と結びついて受け取られていたことをあらわしている。 西行の雪の歌はかならずしも吉野ばかりと結びついているわけではない。というより、吉野という言葉が出てくるのは、冬の部の歌では一首しかない。 吉野山ふもとに降らぬ雪ならば花かと見てや尋ねいらまし(山565) これは、吉野の山に雪が降ったようだが、麓にいてはそれと確認できぬので、花かと思って尋ね入ってみようと歌ったものである。多少とぼけたところのあるこの歌が、吉野と雪を結びつけた唯一の歌だというのは興味深い。西行は吉野と桜を結びつけることが好きだったので、その桜の咲いた明るい春の吉野のイメージを、雪の暗さで損ないたくなかった、と推測したくもなるところだ。 吉野という地名を表には出さぬが、歌の雰囲気から吉野を歌ったと思わせるものはある。 人来ばと思ひて雪を見る程にしか跡付くることもありけり(山533) 人が来たらと思って雪を見たら、人ならぬ鹿の足跡がついていたと詠んだもので、雪深い山中の様子を詠んだと思われる。雪深い山中と言えば、吉野には限らぬが、しかし西行にかかわりの深い地の中では、吉野がもっともこの歌の雰囲気に相応しいとは言えよう。 西行は他の地名に雪を結びつけることもあった。松尾とか青根がそれである。ここでは松尾の雪を歌ったものをとりあげよう、 玉垣は朱も緑も埋もれて雪おもしろき松の尾の山(山537) 松の尾は嵐山の南にあるところから、これは松尾神社の境内から嵐山を望んだのだと思われる。その嵐山に雪が積もっている眺めがおもしろいと歌ったものだろう。西行は出家直後の若い頃に、嵯峨の端のほうに庵を結んだらしいから、これはその頃の歌かもしれない。 雪に閉じこめられながら、春の訪れを待ちわびているような雰囲気の歌もある。 年の内は訪ふ人さらにあらじかし雪も山路も深きすみかを(山570) これもまた吉野の山奥での隠遁生活を歌ったものかもしれぬ。 なお古今集には、雪を見ながら春の訪れを待つ気持をもっとストレートに歌ったものがある。 冬ながら空より花のちりくるは雪のあなたは春にやあるらむ(古330) 降ってくる雪を花と見間違えるくらいだから、この歌の読み手はよほど春の到来を待ちわびているのだろう。これに比べれば西行のほうが、自分の気持を抑えているように感じられる。 |
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