日本語と日本文化


恋の歌:西行を読む


山家集は四季それぞれの部に続いて恋の部があり、最後にそのほかのものをまとめて雑の部としている。恋の部には百三十四首の歌が収められているが、西行は他にも恋の歌を多く歌っており、その数は三百首以上になる。僧の身である西行がなぜかくも恋にこだわり、しかも恋の歌を異常ともいえるほど数多く読んだのは、いったいどんな事情に駈られてか、後世の注意を引き続けたところである。西行は隠遁者として世の無常を歌ったというイメージが強いが、実際には恋多き煩悩の人でもあったわけである。

西行が山家集を編集するにあたって、四季の部に続いて恋の部を配したのは、一つには古今集以来の伝統に従ったということもあろう。古今集は、四季の部に続けて、賀歌、離別歌、羇旅歌、物名を配し、その後に恋歌として五部をあてている。恋の歌の後には、哀傷歌、雑歌、雑体歌、旋頭歌、俳諧歌、大歌所歌が続くが、質量ともに恋の歌は圧倒的な存在感を示している。古今集は四季の歌と恋の歌からなっていると言ってよいほどである。古今集にあっても圧倒的な存在感を示していた恋の歌を、西行もまた数多く作った。しかもそれらの歌は、西行の思いがもっともストレートに表現されたものでもある。西行としては、僧形ながらも、恋について歌った自分の歌を、やはり家集の中核に据える動機は十分にあったと考えるのが自然だろう。

恋の部の歌の配列については、古今集と山家集にかなりの相違がある。古今集は、大岡信が指摘するように(「四季の歌恋の歌」)、恋の予感を含めて、恋の始まりを思わせる歌をまずはじめに集め、その次に恋の真っ最中にある男女の気持を歌った歌を配し、最後に終わってしまった恋をあとになって懐かしむ、あるいは振り返る歌を配するといった具合に、時間軸に沿って恋の歌を並べている。それに対して山家集は、冒頭こそ恋の始まりを歌った歌だが、そのあとは必ずしも時間軸に沿ってはおらず、恋の歌をアット・ランダムに並べている。これは、西行の恋が常に成就することがなく、中途半端な片恋の状態であったことからくる。西行の恋の歌は、片恋の切なさを歌ったものがほとんどを占めるのである。

ここで、古今集と山家集それぞれの恋の部の冒頭の歌を比較してみよう。まず古今集、
  郭公なくや五月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな(古469)
この歌は古来初恋を歌ったものと解釈されてきた。それは古今集の恋の部が時間軸に沿って配列されていることを前提とした見方で、そこから冒頭には恋のはじまりというべき初恋の歌が置かれているのだと解釈されたわけである。ところがこの歌は初恋ではなく、恋そのものの切ない気持を歌ったもので、恋の歌全体を代表する意味合いを持たされている、と大岡は解釈しなおす。冒頭に恋を全体として代表するような歌を置いた上で、そのあとに初恋、恋の成就、恋の思い出といった具合に時間軸に沿って配列しているのだとする大岡の見方は一理あると言えよう。

歌の意味は、あやめ草のあやめと、織物のあやめとをかけ、そのあやめもわからぬほど(心が)乱れた恋をしてしまった、というものである。恋の感情の激しさを歌った歌として、非常に素直でわかりやすく、人の心に響く歌である。

山家集の恋の部の冒頭の歌は、
  逢はざらんことをば知らで帚木の伏屋と聞きて尋来にけり(山578)
これは、行っても逢えないとも知らず、恋する人が伏せているというところに尋ねて来てしまった、と歌ったもので、行っても結局逢えなかった、という失恋の悲しさを歌っている。

これは西行の実体験を歌ったものと捉えてよいと思うが、西行が実体験した恋が片恋だったことは多くの人に認められている。西行が恋した人は、西行とは身分の違う高貴な人で、とても西行の思いがかなうような相手ではなかった。その高貴の人に対して西行は切ない恋心を抱き続け、その切ない気持を折に触れて歌に歌った。この歌はそうした西行の片恋の歌を代表するもので、その点では彼の家集の恋の部の冒頭を飾るにもっとも相応しいと思われる。西行自身もそう思っていたことだろう。

この歌は、源氏物語の帚木の巻を踏まえている。空蝉に恋心を抱いた光源氏が、空蝉の弟小君を介して空蝉に贈った歌、
  帚木の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな
これは、私を厭うあなたの心も知らずに、あなたを求めて夢中で園原をさまよってしまいました、という意味の歌で、源氏の片恋を歌っている。それを踏まえて西行は自分の片恋を歌ったわけであろう。




  
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