日本語と日本文化


ボートシアター公演 「小栗判官照手姫」


いまはユニークな仮面劇で知られる横浜の劇団ボートシアターが、説経「をぐり」に題材をとって、「小栗判官照手姫」を上演したのは、1982年のことであった。その様子はテレビでも放映され、現代人の共感を勝ち取ったものだ。ボートシアター劇団は、その後もこの演目を機会あるごとに上演し、海外においても成功を収めてきたという。この成功に触発されてか、歌舞伎でも、小栗判官の物語をとりあげたほどだ。

筆者も、ボートシアターの初演の様子をテレビで見て、大いに感じ入ったことを覚えている。宇宙論的な広がりを感じさせる物語のスケールの大きさもさることながら、物語を展開する役者たちの何ともいわれぬ芸者振りが、強烈な印象をこの脳裏に焼き付けた。おかげで、あれから20年以上もたったというのに、筆者はあのときに見た劇の一部始終を、目の前に再現できるほどなのである。

まず、仮面をかぶった語り手が登場する。語り手というより、語り部というほうが相応しいほど、存在感がある。説経は語りの芸能であるから、能や歌舞伎のように演じたのでは、その雰囲気を伝えることはできない、そこを演出家はよみとったのであろう。この者に物語を進行させることによって、説経の語りの世界に、観衆を自然と導きいれていた。

そのときの語り手は、ひょっとこ様の面をかぶり、舞台をせましと駆け回りながら、物語を進ませていた。その言葉には迫力があり、また旋律のようなものがあった。聞いていて、まことに心地よいのである。日本語というものが、かくも音楽的な響きをもったものなのか、あらためて感じさせた。

そのときの演出には、語り部におおむね原作に近い昔流の言葉を発せさせていた。なかでも、係り結びにはこだわったようで、とりわけ連体形止めの係り結びを連発させていた。たとえば「車をひけとぞ申されける」の類である。

係り結びは、日本語の伝統の中で、数百年の歴史を通し、この国の言葉に彩と力を添えてきた。そのことを、この公演の語り部の言葉の節々から、改めて感じたのである。いまや日本語は、係り結びを失った結果、韻律に乏しい言語になってしまった。これにとどまらず、この公演においては、日本語へのこだわりが随所に感じられた。


小栗、照手をはじめ、登場人物もおのおのが仮面のいでたちで現れる。

仮面というものは、不思議なもので、かぶった者の真の姿を超えて、見るものを別の、ある意味では現実以上に真実たる世界へと導いていく。

能もまた、仮面の芸能ではあるが、そこには形というものがあり、見るものとの間に、ある種の了解が存する。芸の世界においての約束事である。しかし、その日見た仮面の役者たちは、観客とは一線を画した雰囲気を漂わせていた。それは、一見ぶっきらぼうな中にも、ときには、情念の炎をたぎらせ、人間の顔でも表現できないような、やさしくまた荒々しい表情を示してくれたのである。

圧巻は、小栗主従毒殺の場面と、小栗蘇生の場面、そして照手が餓鬼阿弥となった小栗を乗せ、土車を引く場面である。これらは、原作においても、全編の見せ場となる部分であるが、ボートシアターの公演は、仮面劇の可能性を最大限に引き出し、この世のものとは思われぬそれらの成り行きに、劇的な効果を発揮せしめていた。

説経は、すでに衣鉢を継ぐものがいなくなって、どんな風に演じられてきたか、また、語り方や節回しがどうだったかなどについては、おそらく余りわかっていないのだろう。だから、劇団では、説経の趣旨を換骨堕胎して、大胆に解釈し直したのだろうと思う。

しかし、その結果は、筆者のような初見の者をさえ感動せしめた。

筆者は、この劇を見たことが契機となって、説経というものに興味を覚え、やがてその原本を探し当てて、読むに至った。さらには、日本の芸能がもつ、民族の脈々たる情念のありきたりに、深い関心を寄せるようにもなったのであった。


    


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