日本語と日本文化


説経「かるかや」(刈萱―中世人の遁世観)


説経「かるかや」は、遁世者をテーマにした語り物である。遁世者とは、故あって俗界の縁を断ち切り、高野山を始めとした大寺院に身を隠すことによって、別の生を生きようとした者どもをいった。髪を剃って寺に入るといっても、僧侶になる訳ではない。寺院の片隅に身を寄せ、懺悔をすることで、それまでの因業から開放され、聖の末端に連なって、生き返ることをのみ望んだ。

中世には、こうした遁世者が多く存在したと考えられる。高野山は、遁世者のメッカとしてとりわけ名高かったようである。彼らは高野聖と呼ばれて、山中に庵を結んで暮らす者もあり、また諸国を歩いて勧進する者もあった。

遁世の理由はさまざまであったろう。大事なことは、中世には、俗界で躓いた者に、別の生き方を受け入れてくれるアジールがあったということだ。しかし、アジールに逃げ込む者は、別の生に入るに際して、それまでの恩愛を棄てなければならない。

説経「かるかや」は、このような遁世者の、俗界からの逃避と、俗界への恩愛との、葛藤を描いた物語なのである。

この物語を聞く者は、救いのない悲しさに圧倒される。主人公の重氏の遁世を追って、妻と二人の子が辛酸をなめ、すべての者が死ぬことによって幕が下りる。重氏は、何度か恩愛の念に動かされながらも、妻子の愛を拒み続け、最後まで名乗ろうとしない。物語は重氏が遁世するにあたって立てた誓文に根拠を求めているが、何が重氏をしてかくもかたくなにさせているのか、誰しも訝しく思わずにはおれない。

あるいは、説経を語り歩いた者たちの境涯が、そこに反映しているのかもしれない。彼らは、念仏聖や遊行聖として、遁世者としての一面をもっていた。その境涯の厳しさが、この物語に、妥協をゆるさぬ俗界への拒絶をもたらしたとも考えられるのである。

物語は重氏の道心から始まる。重氏は宴席の上で、「いつも寵愛の地主桜と申すが、本の開いた花は散りもせで、末のつぼうだ花が一房散って、この花よそへも散らずして、重氏殿の杯の中に散り入って、ひとせとふたせと、三巡りまで巡った」のに感じて遁世修行を発心する。

一門は無論御台所の願いをも聞き入れず、「いかに御台に申すべし、変わる心がないぞとよ、変わる心のあるにこそ、深き恨みは召さうずれ、この世の縁こそ薄くとも、又こそ弥陀の浄土にて巡り合はう」と書置きを残して家を出てしまう。

いかにも、必然に乏しい道心である。この世の無常を感じたといっても、重氏はわずか二十一歳の青年である。若い妻と三歳の娘があり、妻の胎中には7ヶ月の子が宿っているとしているのだから、いよいよ訳がわからないのであるが、それが物語に不条理を添えて、迫力を増してもいる。遁世にあっては、理由はさして重要ではないのであり、遁世をするというそのこと事態が重大だったのであろう。

比叡山にやってきた重氏は、法然上人に髪を剃ってくれるよう求めるが、法然上人は「遁世者禁制」といって、はじめは相手にしない。安易に遁世を求めるものが多いからだという。歴史的事実としても、そうであったのかもしれない。しかし、重氏は日本中の寺社の名において誓文することで、遁世を認められる。

「それがしがことは申すに及ばず、一家一門、一世の父母にいたるまで、無間三悪道に落とし、国許よりも親が尋ねて参る、妻子が尋ねて参るとも、再び見参申すまじ、ただ得心の者のことなれば、ひらさら髪をそって、出家にないてたまはれと、大誓文をお立てあるは、身の毛もよだつばかりなり」

十三年間比叡山で過ごした後、重氏は御台所が子を連れて比叡山を訪ねる夢を見る。恩愛にとらわれることを恐れた重氏は、女人禁制で知られる高野山に移る。そこでなら妻と対面しなくともすむからである。

夢のとおり、御台所は夫を尋ねて旅に出る。その場面も一曲の聞かせどころである。重氏遁世の後に生まれた男の子を、重氏の置文のとおり石童丸と名付けて育ててきたが、その子が父を恋しがるのに感じて、二人連れで旅に出る。

一方、娘の千代鶴も、「父には棄てられ申すとも、母には棄てられ申すまいと、かちやはだしで出でさせたまふ、親子の機縁の深ければ、五町が浜にて追ひつき、母上様の御たもとにすがりつき、たださめざめとぞお泣きある」と訴える。これに対しては、「路次の障りとなるぞかし、それをいかにと申するに、これよりも上方は、人の心が邪険にて、御身のやうなる御目形のよい姫は、押へて取って売ると聞く、売られ買はれてあるならば、二世の思ひであるまいか、御身は館へ帰りつつ、館の留守を申さいの、父だに尋ね会ふならば、今一度父に会はせうぞ、はやはや帰れ」と、返してしまう。そして、それが今生の別れともなるのである。

高野山にやってきた母子は、山へ登ろうとして、女人禁制の由来を聞かされる。弘法大師の母上でも、山に登ることを許されなかったという内容である。この場面は一曲の中でも長い部分を割り当てられている。そこだけで、一つの物語が成立している。おそらく高野聖の間で受け継がれてきた伝説なのであろう。

古来日本の山岳道場のほとんどは、女人禁制の建前をとってきた。それには仏教教義が建前としてきた女人への禁忌もさることながら、これら山岳が、男の遁世者の寄り集まる拠点だったという事情もあるようだ。

母を麓に一人残して山に登った石童丸は、ついに父重氏と会う。だが、息子とさとった重氏は、恩愛の念に悩みながらも、最後まで自分が父であるとあかさない。それのみか、汝の父は死んだと嘘をいって息子を悲しませ、あまつさえ、御台所も息子の戻りを待ちわびて死んでしまう。実に不条理に満ちた展開が、聞くものをやきもきさせる。

母の遺骨を携えて国許に戻った石童丸は、姉の千代鶴までが死んだとの報に接する。物語はますます悲しさに染まっていくのである。

結末は意外な展開となる。石童丸は聖となって高野山に入り、重氏は名をあかさぬままに信濃の善光寺へと移る。そして、最後には父子同じ日に死ぬ。

この一曲は、かくのごとく不条理に満ちたものである。遁世とは何か、遁世する者に課せられた禁忌とは何なのか、人をして問わしめずにはいない。


    


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