日本語と日本文化


狂言「二人袴」


狂言「二人袴」は、婿狂言の部類に分類されるものである。婿狂言には、婿選びの話と婿入りする話とがあるが、「二人袴」は婿入りの話の一種ということができる。まだ対面したことがない婿と舅が、大安吉日に晴れて対面することになるが、婿は一人で挨拶するのが不安で、父親の同席を求める。だが、この父子は貧しいと見えて、袴を二人分用意することができない。そこで一枚の袴を二人で穿きあい、舅の前で何とか体面を保とうとするが、最後には仕掛けがばれて、大恥をかくという内容である。

父子が体面にこだわるのは、舅が金持で豪勢な暮らしをしているからである。金持ちの前で惨めな姿を擦らすのは、面子にかかわる。そこで父子は、なけなしの袴を用意して、舅の前で面子を保とうとする。そのためには、父子二人が揃って舅の前に出るわけにはいかない。袴が一つしかないからである。しかし、舅の強い要望によって、二人一緒に舅と対面する羽目になる。そこで、どうしたかというと、袴を二つに切り分けて、それぞれの片割れを前掛けのように腰にかける。その姿で舅と真っ向から対面している限りは、ばれないで済む。だが背後を見せれば、袴がまともでないことがばれてしまう。そこで父子は無い知恵を絞って舅の眼をごまかそうとするのだが、ついに工夫がばれてしまう。舞を所望されて、調子よく舞っている間に、ついつい調子を外して体を回転させてしまい、舅に後ろ姿を見られてしまうのである。

こんな具合に、この狂言の登場人物は父と子(これがシテ)及び舅の三人の掛け合いが中心で、それに太郎冠者が伝令役として加わる。太郎冠者は父親と顔見知りで、父親と舅とを気軽に結びつけてやろうとするのだが、それが却ってあだになって、父親のはかりごとがうまくいかないのである。

前段は、一枚の袴を巡って父子がああでもないこうでもないと工夫をめぐらす場面である。父と子が、別々に舅と対面している間は、うまく進む。だがそのうち、舅が父子揃っているところと対面したいと言い出す。めでたい婿入りの席だから、三人揃って盃をかわしたいというのだ。

後段では、袴を前掛けのようにつけた父と子が、舅の前で舞いをするところが中心になる。最初の頃は、父も子も舅に背中を見せないようにして舞う。それを見た舅が不満を漏らし、是非体を回転して舞って欲しいと言い出す。二人はすっかり困ってしまうが、ひきつづき舞っている間についつい調子を外し、思わず体を回転させてしまう。そこで袴の仕掛けがばれてしまい、父子は大恥をかいたと思い込んでしまうのだ。

父も子も大いに恐縮するものの、舅のほうはそんなことには頓着しない。恥ずかしがらないでいいから、引き続き楽しもうと声をかけるが、恥をかいたと思って大慌ての父子は、脱兎のごとく逃げ去っていくのである。

狂言のハイライトは、舅が父子に舞いを迫り、そのうち自分も相舞に加わる場面だ。そのテクストは次の如くである(大蔵流山本東本による)。

婿(三段の舞を座ったままで舞う)「舞いましてこざる。
舅「ようござるが、なぜに立って左右へ回せられぬぞ。
婿「今日は立って左右に回りにくい仔細がござる。
舅「それはいかようなことでござる。
婿「右にも左にもさす神がござる。
舅「これはいかなこと。舞にさす神がいるものでござるか。ひらに立って左右に回せられい。
親「立って舞うことはゆるいて下されい。
舅「イヤイヤ、ぜひとも舞わせられい。
婿「申し、立って舞いましょう。
親「立って舞うか。
婿「なかなか。
親(また、うしろを注意する)「それならば立って舞おうと申しまする。
舅「それはかたじけのうござる。
婿「祝う心は万歳楽。(婿、三段の舞を舞う)

こんな調子で、父子と舅のやりとりが続き、そのうち三人で縺れ合って舞ううちに、父子が調子に乗って舅に背中を見せてしまうというわけである。(写真は大蔵流舞台、善竹十郎及び善竹大二郎)






  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本





HOME







作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2013
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである