日本語と日本文化


橋合戦:平家物語巻第四



(平家物語絵巻から 橋合戦)

高倉の宮及び宮を守る頼政以下の部隊が、奈良へ向かう途中宇治の平等院で休息した。そこへ平家が追っ手をかけて、迫ってくる。宮側は、宇治川にかかった橋の一部を破壊したりして、平家方を向こう岸に釘付けにしようとするが、平家は平家で、なんとかして河を渡って対岸に進出し、一気に宮方の部隊を殲滅しようとする。

こうして、平家物語の最初の本格的合戦シーンが展開されることになる。出て来るヒーローは、前半では宮方の強兵、とりわけ浄妙坊とか慶秀坊とかいった三井寺の僧兵であり、後半では、足利の嫡流忠綱である。

~宮の御方には、大矢の俊長、五智院の但馬、渡辺の省・授・続の源太が射ける矢ぞ、鎧もかけず、楯もたまらずとほりける。源三位入道は、長絹のよろひ直垂にしながはおどしの鎧也。其日を最後とやおもはれけん、わざと甲は着給はず。嫡子伊豆守仲綱は、赤地の錦の直垂に、黒糸威の鎧也。弓をつよう引かんとて、これも甲は着ざりけり。ここに五智院の但馬、大長刀の鞘を外いて、只一人橋の上にぞ進んだる。平家の方にはこれをみて、「あれ射とれや物共」とて、究竟の弓の上手どもが矢先をそろへて、差し詰め引き詰め散々に射る。但馬すこしも騒がず、あがる矢をばつゐくぐり、さがる矢をば躍り越え、むかッてくるをば長刀で斬ッておとす。かたきもみかたも見物す。それよりしてこそ、矢斬りの但馬とはいはれけれ。

~堂衆のなかに、筒井の浄妙明秀は、かちンの直垂に黒皮威の鎧きて、五枚甲の緒をしめ、黒漆の太刀をはき、廿四差いたる黒ぼろの矢負ひ、ぬりこめどうの弓に、このむ白柄の大長刀とりそへて、橋のうへにぞ進んだる。大音声をあげて名のりけるは、「日ごろは音にもききつらん、いまは目見給へ。三井寺にはその隠れなし。堂衆のなかに筒井の浄妙明秀といふ一人当千の兵物ぞや。われとおもわん人々は寄りあへや。げンざんせん」とて、廿四さいたる矢を差し詰め引き詰め散々射る。矢庭に十二人射殺して、十一人に手負せたれば、箙に一つぞのこッたる。弓をばからと投げすて、箙も解いてすててンげり。貫きぬ脱いではだしになり、橋の行桁をさらさらさらと走りわたる。人は恐れて渡らねども、浄妙房が心地には、一条二条の大路とこそ振舞うたれ。長刀で向ふかたき五人薙ぎふせ、六人にあたる敵に逢うて、長刀中よりうち折つて捨ててンげり。その後太刀を抜いて戦ふに、かたきは大勢なり、蜘蛛手・角縄・十文字、とンばうかへり・水車、八方すかさず斬ッたりけり。やにはに八人きりふせ、九人にあたるかたきが甲の鉢にあまりに強う打あてて、目貫のもとよりちやうど折れ、くッと抜けて、河へざンぶと入りにけり。頼むところは腰刀、ひとへに死なんとぞ狂ひける。

~ここに乗円房の阿闍梨慶秀がめしつ使ひける。一来法師といふ大ぢからのはやわざありけり。つづいてうしろに戦ふが、ゆきげたは狭し、そばとほるべきやうはなし。浄妙房が甲の手先に手を置いて、「あしう候、浄妙房」とて、肩をづんど躍り越えてぞ戦ひける。一来法師打死してんげり。浄妙房這ふ這ふ帰つて、平等院の門のまへなる芝のうへに、物具ぬぎすて、鎧立つたる矢目をかぞへたりければ六十三、うらかく矢五所、されども大事の手ならねば、所々に灸治して、かしらからげ、浄衣着て、弓うち切り杖につき、平足駄はき、阿弥陀仏申して、奈良の方へぞまかりける。

~浄妙房がわたるを手本にして、三井寺の大衆・渡辺党、走りつづき走りつづき、われもわれもとゆきげたをこそわたりけれ。或は分捕してかへる物もあり、或はいた手おうて腹かき切り、河へ飛入る物もあり。橋のうへのいくさ、火出づる程ぞたたかい戦ひける。


宮方の健闘振りを見せられた平家方では、狭い橋の上で鍔迫り合いをしていても埒はあかないと判断し、大軍を対岸に進出させて、一気に敵を殲滅しようとする。ところが宇治川は五月雨で水量が増しているので、簡単には渡れない。武将の一人が、河内のほうへ迂回して迫ろうかと提案するが、足利の忠綱は、それでは勝機を逸してしまうし、なによりも敵を目の前にして攻撃しないのは武士の恥だといって、渡河を強行しようと主張する。その際の忠綱の口上が一つの聞かせどころになっている。

~これをみて平家の方の侍大将上総守忠清、大将軍の御まへに参つて、「あれ御らん候へ。橋のうへのいくさ手いたう候。いまは河を渡すべきで候が、折節五月雨のころで、水まさッて候。わたさば馬人おほく失せ候ひなんず。淀・いもあらいへや向ひ候べき。河内路へや廻り候べき」と申すところに、下野国の住人足利又太郎忠綱、進みいでて申しけるは、「淀・いもあらい・河内路をば、天竺、震旦の武士をめして向けられ候はんずるか。それも我等こそ向ひ候はんずれ。目にかけたる敵を討たずして、南都へ入れ参らせ候ひなば、吉野・十津川の勢ども馳集りて、いよいよ御大事でこそ候はんずらめ。武蔵と上野の境に利根河と申候大河の候。秩父・足利仲を違ひ、つねは合戦をし候ひしに、大手は長井のわたり、搦手は故我杉のわたりよりよせ候ひしに、上野国の住人新田の入道、足利にかたらはれて、杉の渡より寄せんとてまうけたる舟共を、秩父が方よりみな破られて申し候ひしは、「ただ今ここをわたさずは、ながき弓矢の疵なるべし。水におぼれて死なばしね。いざわたさん」とて、馬筏をつくッて渡せばこそわたしけめ。坂東武者の習として、かたきを目にかけ、河をへだつるいくさに、淵瀬きらふ様やある。此の河の深さ早さ、利根河にいくほどのおとりまさりはよもあらじ。つづけや殿原」とて、真先にこそ打入(うちい)れたれ。

~つづく人共、大胡・大室・深須・山上、那波の太郎、佐貫の広綱四郎大夫、小野寺の禅師太郎、辺屋子の四郎、郎等には、宇夫方次郎、切生の六郎、田中の宗太をはじめとして、三百余騎ぞつづきける。足利大音声て、「つよき馬をば上手立てよ、弱き馬をばした下手になせ。馬の足の及ばうほどは、手綱をくれて歩ませよ。はづまばかいくッて泳がせよ。下らう物をば、弓の筈にとり付かせよ。手をとり組み、肩をならべてわたすべし。鞍壷によく乗り定まつて、あぶみをつようふめ。馬のかしら沈まばひきあげよ。いたう引いて引つかづくな。水しとまば、三頭のうへに乗りかかれ。馬には弱う、水には強うあたるべし。河中で弓ひくな。かたき射るとも相引すな。つねに錣を傾けよ。いたう傾けて手へんいさすな。かねにわた渡いておし落さるな。水にしなうて渡せや渡せ」と掟てて、三百余騎、一騎もながさず、むかへの岸へざッとわたす。


こうして平家は宇治川を渡るのに成功し、一気に敵を殲滅する。大将格の頼政は自害し、その子供たちは戦死、宮自身も奈良へ向かう途中捕らえられ、切られてしまうのである。

(絵は、宇治川にかかる橋の残骸を挟んで対面する平家方と宮方)




  
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