日本語と日本文化


知章最期:平家物語巻第九


平知盛は生田の森の大将軍として、平家軍の正面を守り、最後まで踏みとどまっていたが、やがて味方は四散、息子の知章、侍の監物頼方と、合せて三騎だけになってしまった。そこで、平家の助け舟を求めて汀のほうへ向かったが、そこへ追っ手の集団が背後から迫ってきた。

弓の名手の監物頼方が先頭の敵を射落として防戦する間に、敵方の大将らしきものが知盛に馬を並べて組み伏せようとした。そこへ息子の知章が割って入り、父親を守ろうとする。知章は敵の首を取ったものの、童によって首を取られる。一方、頼方のほうも、多勢に無勢で、遂に敵に倒されてしまう。

知章たちが戦っている間に、知盛は馬に海を泳がせ、総大将宗盛の船に引き上げられる。船は満員で馬が入る余地まではない。そこで馬を陸に帰そうとしたところ、名馬をむざむざ敵に取られるよりはと、射殺そうというものがいたが、知盛は自分の命を助けてくれた馬を殺すには忍びないと言う。馬はしばらく海を泳いで船にしたがっていたが、やがて深みに及んで、名残惜しそうに陸に向かって泳いでいった。

船に上がった知盛は、息子を見殺しにしたことを悔いて、自分を責める。そんな知盛の姿を見た人々は、みな涙を流したのであった。

~新中納言知盛卿は、生田森大将軍にておはしけるが、其勢みな落ちうせて、今は御子武蔵守知章、侍に監物太郎頼方、ただ主従三騎になッて、助け船にのらんと汀の方へ落ち給ふ。ここに児玉党とおぼしくて、団扇の旗挿いたる者共十騎ばかり、喚いて追つかけ奉る。監物太郎は究竟の弓の上手ではあり、まッさきにすすんだる旗さしがしや頸のほねをひやうふつと射て、馬よりさかさまに射落す。そのなかの大将とおぼしきもの、新中納言にくみ奉らんと馳せならべけるを、御子武蔵守知章中にへだたり、おしならべてむずとくんでどうど落ち、とッておさへて頸をかき、立ち上らんとし給ふところに、敵が童逢うて、武蔵守の頸をうつ。監物太郎落ち重なつて、武蔵守討ち奉つたる敵が童をもうッてンげり。其後矢だねのある程射尽して、打ち物ぬいて戦ひけるが、敵あまたうちとり、弓手のひざのくちを射させて、立ちも上らず、ゐながら討死してンげり。

~このまぎれに新中納言は、究竟の名馬には乗り給へり。海のおもて廿余町およがせて、大臣殿の御船につき給ひぬ。御舟には人多くこみ乗つて、馬たつべき様もなかりければ、汀へ追つ返す。阿波民部重能「御馬敵のものになり候ひなんず。射殺し候はん」とて、かた手矢はげて出でけるを、新中納言「何の物にもならばなれ。わが命を助けたらん物を。あるべうもなし」との給へば、力及ばで射ざりけり。この馬ぬしの別をしたひつつ、しばしは船をも離れやらず、沖の方へおよぎけるが、次第に遠くなりければ、むなしき汀におよぎかへる。足たつ程にもなりしかば、猶船の方をかへりみて、二三度までこそいななきけれ。其後陸に上がつてやすみけるを、河越小太郎重房とッて、院へ参らせたりければ、やがて院の御厩にたてられけり。最も院の御秘蔵の御馬にて、一の御厩にたてられたりしを、宗盛公内大臣になッて悦申しの時給はられたりけるとぞ聞えし。新中納言にあづけられたりしを、中納言あまりに此馬を秘蔵して、馬の祈りのためにとて、毎月朔日ごとに、泰山府君をぞまつられける。其故にや、馬の命ものび、ぬしのいのちも助けけるこそめでたけれ。此馬は信濃国井上だちにてありければ、井上黒とぞ申しける。後には河越がとッて参らせたりければ、河越黒とも申しけり。

~新中納言、大臣殿の御まへに参つて申されけるは、「武蔵守におくれ候ひぬ。監物太郎うたせ候ひぬ。今は心ぼそうこそまかりなッて候へ。いかなる子はあッて、親を助けんと敵に組むをみながら、いかなる親なれば、子のうたるるを助けずして、かやうに逃れ参つて候ふらんと、人の上で候はばいかばかりもどかしう存候ふべきに、よう命は惜しい物で候ひけると今こそ思ひ知られて候へ。人々の思はれん心のうち共こそはづかしう候へ」とて、袖をかほに押しあててさめざめと泣き給へば、大臣殿是をきき給ひて、「武蔵守の父の命にかはられけるこそありがたけれ。手も利き心も剛に、よき大将軍にておはしつる人を。清宗と同年にて、ことしは十六な」とて、御子衛門督のおはしける方を御らんじて涙ぐみ給へば、いくらもなみゐたりける平家の侍共、心あるも心なきも、皆鎧の袖をぞぬらしける。


父親を守ろうとして命を落とした知章は、まだ数え年で16歳。17歳で死んだ敦盛がまだ少年の面影を残していたとされるから、知章はそれ以上に幼かったわけである。普通なら親が助けるべきなのに、かえって親のために自分の命を犠牲にしたというので、とりわけ同情の涙を誘うところだ。それにしても、子供をたてに命ながらえた知盛は、あまりにも情けないというべきだが、平家物語は知盛にたいして、そんなに辛辣ではない。


  
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