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大蔵の大夫紀助延の郎党、唇を亀に食はれし語 今昔物語集巻二八第三三


今は昔、右舎人から大蔵の丞になって、後には冠位を賜って大蔵大夫と呼ばれた紀助延というものがあった。若い頃、米を人に貸して利息を付けて返させたので、それがつもりに積もって四五万石にもなり、世の人はこれを万石の大夫と呼んだ。

その助延が備後国に行き、しばらく用事で滞在しているとき、浜で網をひかせていると、甲の広さ一尺ばかりある亀を引き上げた。助延の郎党共はそれをおもちゃにして遊んでいたが、その郎党の中に年50ばかりで、日頃から奇妙な言動で知られていた男がいた。

いつもの癖が出たのか、男は亀の姿を見ると、「これは、わしの女房が逃げてゐなくなったと思っていたら、こんなところにいたのか」といいつつ、亀の甲の両端を持って差しあげた。

亀は手足を甲の中に引き入れ、首まですっぽりとしまったが、甲の合間から細い口先だけが見えた。男は子供たちが口をすぼめるような仕草をしながら、「亀さんおいで、亀さんおいで、とさんざん川辺で声をかけたのに、何故出てこなかったのじゃ。ずっと恋しかったのじゃよ、いざキスをさせてくれや」というと、細長く突き出た亀の口に自分の唇をあてて亀の口を吸おうとした。

すると亀はやおら首を出して、男の上下の唇にかみついたのであった。男はおどろいて引き離そうとしたが、亀は上下の唇をしっかり噛み合わせているので、とても放れるどころではなかった。

男は手を開いてくぐもり声で叫んだが、なすべきようもない。目から涙を流して苦しむばかり。そのうち他の者どもが寄ってきて、刀の峰で亀の甲を叩いたが、亀はいよいよ食い入るばかり。男はいっそうもがいて、泣き叫んだ。これを見ていたものの中には同情する者もあったが、そっぽを向いて笑っているものもあった。

そのうち、一人の男が出てきて、亀の頭をぶった切った。すると亀の胴体は落ちたが、首はまだ男の唇に食いついたままだった。そこで亀の口の脇の方から刀を差しこんで、首を引きちぎり、男の唇から引きはがしてやった。

唇には錐の先のような亀の歯がまだ残っていたが、それをゆっくりと引きぬき、亀の茹で汁で傷を洗ってやった。だが男の唇は大きくはれ上がり、患部には膿がたまったりして、長い間治らなかった。

このことを見たり聞いたりした人々は、主人をはじめとして、かわいそうとは思わずに、嘲笑ったのだった。もとよりバカなことばかりして、こんな戯言まで犯すのであるから、人に嘲笑われるのも無理はない。その後、男は懲りたとみえて、馬鹿なことを慎むようになったが、それにつけても人々の嘲笑の的となった。

これを思うに、亀の頭は四五寸も飛び出るものを、それに唇を寄せたりしては、かみつかれるのが当たり前。こんなバカなことをしては、人様に馬鹿にされるのも当たり前じゃ。


今昔物語のなかでも、もっとも馬鹿馬鹿しくて、笑える話だ。亀とキッスをしようなどとすれば、とんだ痛い目にあうのだと、警告しているのだろうか。

日本人の男女の間の愛情表現として、接吻が古くからなされていたということを物語る、貴重な話でもある。



今は昔、右舎人より大蔵の丞になりて、後には冠給はりて大蔵の大夫とて、紀助延といふ者ありき。若かりける時より、米を人に貸して、本の数に増して返し得ければ、年月を経るままに、その数多く積もりて、四五万石になりてなむありければ、世の人、此の助延を万石の大夫となむ附けたりし。

其の助延が、備後国に行きて、すべき事ありてしばらくありける程に、浜に出でて網を引かせけるに、甲の広さ一尺ばかりある亀を引き上げたりけるを、助延が郎党共の陵じもてあそびけるに、其の郎党の中に年五十ばかりなるありける郎党の、かたしれたるありける。いと見苦しき空言をなむ常に好みける。

其の気にやありけむ、其の男、此の亀を見付くるままに、「かれは己が古き妻の奴の逃げたりしは、ここにこそありけれ」と云ひて、亀の甲の左右のはたを取りて捧ぐれば、亀、足手も甲の下に引き入れつ、頸をもずぶりと引き入れつれば、細き口ばかりわずかに甲の下に見ゆるを、此の男捧げて、幼き児どもに、しわわりといふ事するやうにして、「亀来亀来と川辺にて云ひつるは、など出でまさざるぞ、わ御許は。月ごろ恋しかりつるに、口吸はむ」と云ひて、細く差し出でたる亀の口に、男の口をさしあてて、わずかに見ゆる亀の口を吸はむとする程に、亀にはかに頸をきと差し出でて、男の上下の唇を深く食ひあはせつ。引き放たんとすれども、亀の上下の歯を食ひ違へて食ひたれば、いよいよ食ひ入りにこそ食ひ入れ、ゆるさむやは。

其の時に男、手をひらきて、含り声に叫べども、すべきやうもなくて、目より涙を落してまどふ。然れば、異者ども皆寄りて、刀の峰を以て亀の甲を打てば、亀いよいよ食ひ入りに食ひ入る。然れば男、手かきてまどふ事限りなし。異者どもは、かくまどふを見ていとほしがるに、亦外に向ひて笑ふ者もありけり。

然る間、一人の男ありて、亀の頸をふつと切りつれば、亀の体は落ちぬ。頸は食ひながらとどまりたるを、物に押し当てて、亀の口脇より刀を入れて頸を破りて、其の後に亀の頸頤を引き放ちつれば、錐の先のやうなる亀の歯ども食ひ違はれにければ、それをやはら構へてをこづり抜きに抜く時に、上下の唇より黒血走る事限りなし。走りはてつれば、其の後に蓮の葉を煮て、それを以て茹でければ大きに腫れにけり。其の後膿みかへりつつ、久しくなむ病みける。

これを見聞く人、主より始めて、いとほしとはいはで、悪み笑ひなむしける。本よりかたしれたる男の、虚言を好みければ、かかる痴事をもして病みまどひて、人にも悪み笑はれけるなり。其の後は、虚言も好み云はでなむありければ、同僚のものども、それにつけても笑ひけり。

これを思ふに、亀の頸は四五寸と差し出づるものを、口をさしよせて吸はむとせむには、まさに食はれぬやうはありなむや。これは世の人、上も下も由なからむ虚言して、猿楽にさやうならむ危き戯れ事はやむべし。かかる痴れ事して悪み笑はるる男なむありけるとなむ語り伝へたるとや。


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