日本語と日本文化


谷崎潤一郎の「日本的恋愛」論


谷崎潤一郎の書いた随筆というのは、自分の日頃思っていたことを、何の工夫もなくストレートに表現したものが多いので、深みと言うか、教えられるところは殆ど何もないが、しかしそれなりに読ませるところがある。その面白さは、小説と同じく、これはあくまでも作り物だよということを、読者に納得させたうえで、いわば了解づくで語りかけてくることの、無責任さから生まれるのだといってよい。そんなこともあって谷崎が随筆に手を染める時、そのテーマはおよそ肩の凝らない性格のものが多いのである。

「恋愛及び色情」と題した随筆などは、そうした無責任さが横溢した一篇で、書いている事の信憑性は殆ど問題にならないながら、というか馬鹿馬鹿しい限りながら、それでいて、というかそれ故というか、とにかく面白いのである。

「日本の茶道では、昔から茶席へ掛ける軸物は書でも絵でも差支えないが、ただ"恋"を主題にしたものは禁ぜられていた。ということはつまり、"恋は茶道の精神に反する"とされていたからである」

こう谷崎は書き出すのだが、日本では茶道に限らず様々なところで"恋"が白眼視されていたと谷崎は嘆息する。最近になって日本人が"恋"を白眼視しなくなったのは、西洋文学を始めとした西洋文化の影響である。しかし日本人は太古の昔から男女の恋愛を白眼視してきたかと言えばそうではない。それは平安時代の文学を読めばおのずとわかることで、源氏物語などは"恋愛"をおおらかに賛美したものである。

それが、「武門の政治が起こり武士道が確立するに従って、女性を卑しめ、奴隷視することになった」そういう雰囲気の中では自ずから恋愛が賛美されることなどはもってのほかで、男女の恋愛沙汰は抑圧されるべきこととなってしまったわけである。

何故そうなったのか、その背景までは、谷崎は詮索しない。ただ、日本人が男女の恋愛を白眼視するようになったのは、武門支配の成立という、歴史的な条件と深くかかわっていたということを、指摘するにとどめるのだ。

ところで、平安時代の男女の恋愛には今日の日本ではおよそ考えられないようなことがなされていたと谷崎はいう。それを一言でいえば、女性の地位が高く、男性による女性賛美が普通だったばかりか、弱い男を強い女が支配するといった事態まで見られた。要するに女は男と対等、またはそれ以上の強さを以て生きていたというのである。

谷崎はそうした女の強さや、女を敬い奉る男のことを、「古今著聞集」や「今昔物語集」を引き合いに出して紹介しているのであるが、その紹介ぶりは、当時の男女の間柄には、今日のそれとはかなり違った面があったということを強調するだけの皮相なものであって、何故平安時代以前に女たちが強い存在でありえたかについての、歴史的な視点はない。

谷崎は文学者であって歴史学者ではないのだから、平安時代の女が今日の女より強かったことの歴史的な背景など論じるいわれはないのかもしれないが、それにしても、そうした歴史的な背景を一切捨象して、今日の男女関係を平安時代の男女関係と比較しても、あまり生産的なことにはならないだろう。事実、この比較を論じる時の谷崎の態度は、学問的な香りを一切感じさせない。

さて、いよいよ谷崎の筆は、今日の日本人の恋愛と諸外国とのそれとの比較に移っていく。

まず俎上にのせるのは、日本女性の肉体の性的アピール度とでもいうべきものである。「精神にも"崇高なる精神"というものがある如く、肉体にも"崇高なる肉体"がある。谷崎はこういって、女性の肉体が恋愛にとってもつ意味を強調するのであるが、翻って日本女性の肉体を見ると、これが非常に貧弱である。豊満な肉体を持つ女性が非常に少ないうえに、そうした持ち主がいた場合でも寿命が短い。西洋の女性がもっとも美しくなる年齢は31-2歳なのにたいして、日本の女性は精々24-5歳くらいまでで、しかも独身時代に限られる。一たび結婚してしまえば、すっかり所帯やつれしてしまう。

「だから」と谷崎はいう。「西洋には"聖なる淫婦"もしくは"みだらなる貞婦"というタイプの女がありえるけれども、日本にはこれがありえない。日本の女はみだらになると同時に処女の健康さと淡麗さを失い、血色も姿態も衰えて、醜業婦と選ぶところのない下品な淫婦になってしまう」

ここの部分がはたして谷崎の本音であるかどうか。もし本音であるとするなら、谷崎は随分人を食った人間だということになる。というのも、谷崎文学の本質は、女性賛美にあるということになっているからで、その女性賛美の影にこんな本音が隠れているのだとすれば、それはとんでもない欺瞞だということになる。

次いで谷崎は、我々日本人が、セックスに淡泊なことに言及する。「われわれは性生活において甚だ淡泊な、あくどい淫楽に絶えられない人種であることは確かである。横浜や神戸あたりの開港地にいる売笑婦に聞いてみてもこのとこは事実であって、彼女らの話によると、外国人に比べて日本人は遥かにそのほうの欲望が少ないという」

「われわれが性欲にあくどくないのは、体質というよりも、季節、風土、食物、住居などの条件に制約されるところが多いのではないか」と谷崎はいう。というのも、西洋人も日本に長く滞在すると、頭が悪くなって、性欲も減退するようだからである。彼らはだから、日本滞在が長くなると、英気を養うために本国に帰るか、日本国内で転地療養のようなことをする。軽井沢が西洋人に人気のあるのは、カラッとした空気が彼らの健康に良い働きをすると信じられているためだ。日本にいて頭が悪くなる最大の要因は、どうやら湿気の多さにあるらしいのだ。

こうして谷崎は、日本人が性欲にあくどくないのは、べとべとと湿気の多い気候に最大の原因があると結論付けるのだが、ならば湿気の多いインドや南支那はどうかというと、彼等は彼らなりに日本人よりはるかにあくどく性欲を楽しんでいるらしいと訳の分からぬことを言っている。そのうえ、べとべととした湿気にかかわらず性欲を発散させたおかげで、彼等は勢力を使い果たし、その結果自分の国を西洋人の蹂躙するにまかせたのだと、あまり根拠のないことをいっている。いわんや、「われわれが今日東洋に位しながら世界の一等国の班に列しているのは、即ちわれわれがあくどい歓楽を貪らなかった所以であるともいえる」というにおいておや、である。

「恋愛を露骨にあらわすことを卑しみ、かつその上にも色欲に淡泊な民族であるから、われわれの国の歴史を読んでも陰に働いた女性の消息というものが一向明らかに記していない」谷崎は最後にこういって、日本の女性がいかに軽く扱われてきたかに言及している。例えば系図を見ても、男の経歴は詳しく記されているのに対して、女の方は単に「女」あるいは「女子」と書かれているだけだといったことである。

それ故、日本人にとって、女性というものは陰に隠れた存在として、長い歴史を生きてきたわけだ。中には、北条政子や日野富子のような例外はあるけれど、彼女らはその行為の異常な悪女ぶりが歴史家の注目を引いただけのことであって、あくまでも例外に過ぎないというわけであろう。

日陰の存在ということについては、日本の女は、女がまだ強かった時代から、闇の世界と結びついていた。つい最近の時代まで、日本の夜というものは、文字通り漆黒の世界であったわけだが、平安時代の昔においては、男女がちぎりを結ぶのはその漆黒の闇の中であったのである。さればこそ、光源氏は末摘花の鼻の頭が赤いことに気がつかぬまま、長い間過ごしたわけなのである。これは、妻問婚という日本独特の婚姻の風習がもたらした珍事といえるのであるが、谷崎はそうした歴史的な背景にはあまり興味がないらしく、ただことがらのおかしさを、笑っているかの風情がある。


    

  
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