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遊兵と人肉食:大岡昇平「レイテ戦記」


レイテ島の日本軍からは多くの遊兵が生まれた。激戦地での戦線から自分の意思で離脱したもの、怪我や病気がもとで友軍の足手まといになり切り捨てられてしまったもの、あるいは所属部隊が全滅状態になって、自分だけあるいは少数の兵が生き残ってしまい行き場を失って放浪するようになったもの、など理由は様々だったと思われる。大岡自身もミンドロ島で遊兵のような状態に陥ったのだが、それは友軍が壊滅状態になって、組織の態をなさなくなったことの結果だった。

遊兵に待っていた運命は、放浪中に餓死するか、衰弱して動きが鈍くなったところを米軍の捕虜になるか、あるいは友軍に拾われて再び部隊に組み入れられるか、いずれかだったと思われる。部隊に再度組み入れられた兵は、多くの場合に弾除けとして前線に立たされたらしいので、これを嫌ってまた遊兵に逆戻りするものもいた、と大岡は書いている。いずれにしても、遊兵の最終的に行き着く先は、米軍の捕虜にならない限り、餓死することだった。

遊兵にとって最大の問題は食料の確保だ。食料が確保できなければ、速やかに飢死するほかはない。そこで人肉食という忌まわしい事態が生じた、と大岡は推測する。レイテにおける人肉食の問題は、何も明らかにはされておらず、あくまでも噂や推測に基づいている。

大岡は「野火」のなかで、日本兵による人肉食をテーマに取り上げたわけだが、確たる事実証拠にもとづいて書いたわけではないようだ。これはあくまでも小説の中で展開されることなので、作家の想像力のなせるものだと言って、論点をはずすことも出来よう。しかしそれでも、作家に人肉食の事実に関するある程度の確信がなければ、このような忌まわしいテーマに手を染めることはないだろう。大岡にもある程度、その確信はあったはずだ。大岡はそれを、捕虜仲間の噂や、戦後耳にした伝聞をもとに強めたようである。

そうした噂や伝聞のいくつかの例を大岡はあげている。「ビリヤバの町のフィリピン人の間に、カンギポット北方の谷間にあった若い兵士の死体に、臀と股の肉がなかったという記憶が残っている。この時期に捉えられた兵士が、黒焦げの人間の腕を持っていた、という噂がパロの俘虜収容所で語られた。これも伝聞であるが、ルソン島北部の生還者には、解体されたフィリピン人の女の死体を目撃している者がある。ミンダナオ島で臀部のない将校の死体が目撃され、報復と信じられている。結局、これら毀損された死体の存在だけは、否定することの出来ない事実である・・・食った者の顔には、なんともいえない不気味な艶があってすぐわかったといわれる。しかしこれは人肉という神秘的な食物を摂ったために現れる特殊な現象ではない。含水炭素ばかり摂取していた人間が、不意に蛋白質を摂るから皮膚に艶が出るのである」

大岡は、「人肉食いは太平洋戦争でわれわれが残した最も忌むべき行為のひとつである」と書いているが、そう書くわりには、人肉食について寛大である。レイテ以前に起こった人肉食の例をあげながら、人間は絶対的な飢餓に直面して、ほかに生き残るすべがない時には、緊急避難として人肉食が許されるというふうに、どうも考えているようである。そういう場合には、「善悪の判断を失ったとして許される」と考えているようなのである。

戦争は人間を極限的な状態に追いやる。そういう状態では、人間のなかの原始的な衝動が解放されやすくなる。むしろ軍隊にはそういう衝動を奨励するようなところがある。でなければ、物を破壊するように、簡単に人間を殺すような真似は出来ない道理だ。「そういう状態の延長上に、兵士が絶対的な飢餓状態に達すれば、同胞相食うという原始の昔に返ってしまうのは自然なのである」

それゆえ大岡は、個々の兵士の人肉食いを責める前に、兵士たちをそのような境遇に追いやった軍部の無責任を問うべきだと言いたいようなのだ。兵士をして飢えしめないというのは軍の責任である。「ところが大本営が太平洋戦線一帯でとった遷延作戦では、その責任を放棄していた・・・硫黄島も沖縄もこの方針(遷延作戦)に従って、兵士に苦しい抵抗を課し、沖縄島民に集団自決を強いた」

兵士を飢えさせておきながら、軍部は仲間同士の人肉食を厳禁した。ニューギニアでは、軍命令で死刑を以て罰したという。それは、「死んだ戦友の肉を食って体力をつけ、永久抗戦する。戦友は許してくれるはずだ」と正当化する者が出てきたからだという。それほど前線の兵士が追い詰められていたことの証左だろう。

「こうしてレイテ決戦に敗れた上は、大本営はフィリピン全域の現地指令官に降伏の自由を与えるべきであった、という平凡な結論に達する。そうすればルソン、ミンダナオ、ビサヤでの日米両軍の無益な殺傷、山中の悲惨な大量餓死と人肉食いは避けられたのであった」

大岡はこう書いた上で、次のようにも言っている。「しかし申すまでもなく、これは今日の眼から見た結果論である。国土狭小、資源に乏しい日本が近代国家の仲間入りするために、国民を犠牲にするのは明治建国以来の歴史の要請であった。われわれは敗戦後も依然としてアジアの中の西欧として残った。低賃金と公害というアジア的条件の上に、西欧的な高度成長を築き上げた。だから戦後二五年経てば、アメリカの極東政策に迎合して、国民を無益な死に駆り立てる政府とイデオロギーが再生産されるという、退屈極まる事態が生じたのである」


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