日本語と日本文化


大岡昇平「野火」


大岡昇平の小説「野火」を、筆者は日本文学が生んだ最高傑作のひとつだと考えているが、世の受け止め方は必ずしもそうではないらしい。扱われているテーマが、人肉食いという陰惨な事柄であるためだろう。人肉を食うことは、大岡自身この小説の中で言っている通り、母親を犯すことと並んで、嫌悪の脅迫なしに想像することのできないこと、つまり人間として最もイモラルなことである。そのイモラルな行為を大岡は、異常で常軌を逸したものだと認めつつ、決してありえないことではないというような見地で描いている。どのような個人にあっても、一定の条件が重なれば、人肉を食うという選択が、無論良心の呵責を伴いながらではあるが、なされることに不思議はない。或は人は言うかもしれない。人を食って自分が生き残るよりは、自分自身を死神の手に差し出すほうがましだと。しかし、人間というものは、そんな理屈で割り切れるものではない。人を食うより以外選択の余地がない場合には、人はあっさりとその行為を選んでしまうものなのだ。こんなシニシズムがこの小説には満ち溢れている。それ故この小説は、一種の露悪趣味の小説とも言えるし、その限りにおいて、これに共感できる読者の幅を限定することにもなっている、というわけなのだろう。

大岡がこの小説を発表したのは昭和26年(1951)のことである。その二年前に発表した「俘虜記」において、大岡はすでに日本兵による人肉食いについて、兵士同士の冗談話として、軽く言及していたが、発表当時それを読んだ読者は、怪訝に思いながらも、あまり深刻には受け取らなかったと思う。ところが「野火」は、日本兵による人肉食いを、大岡自身の分身と思われる一敗残兵の体験として描いた。その描きぶりがあまりに真に迫っていたものだから、それを読んだ人達は、これは架空の、つまりありえない出来事だったのではなく、実際に起きたことだったのではないかと、思わされたのではないか。昭和26年と言えば、戦争が終わって6年しか経っていないし、まだ復員していない元兵士もいたりして、戦争は完全に過ぎ去った過去のことではなかった。人々の記憶の中には、それぞれの立場に応じて、戦争でこうむったさまざまな苦難が刻み込まれていた。そんな苦難の記憶を抱えた人々にとって、戦争中における敗残兵の人肉食いという光景は、もしかしたら十分にありえたことではなかったか、そう思われて、彼等の良心をうずかせたに違いない。

南方戦線で、敗残兵となった日本兵の間で人肉食いがなされたという噂は、敗戦直後の日本で結構流通していたらしい。アナーキストの奥崎謙三は、軍隊の上官による下級兵の人肉食いを戦争犯罪として告発しているくらいだ。その人肉食いを大岡は正面からとりあげて、小説のなかだけでの架空の話としてではなく、現実にありえたことであり、またあったに違いないことだっと、というふうに描きあげたわけだから、それを読んだ人々が複雑な反応を示したことは驚くにあたらない。これはあってはならない話だが、またありえない話でもない、というのが最初の読者たちの平均的な受け止め方だったのではないか。

作中人物で大岡の分身と思われる田村一等兵の、人肉食いについてのスタンスは次のように要約できよう。人間は極限的な状況では人肉でさえ食えるものだ。だがそれには良心の強い抑圧と戦わねばならない。この抑圧があるために、人間はなかなか人肉を食うことができないわけだが、ある地点でこの抑圧が突破されると、人肉を食うという事態に自分の身を任せることが出来る。心ではなく身を任せると言うのは、人肉食いというこの行為が、心の受け入れられるような事柄ではないからだ。人は心を空にしなければ人肉を食うなどと言うことは出来ない。また、たとえ心を空にしても、直接自分の手を下して、死者の身体から肉をはがし、それを口に入れるなどということも出来ない。それだからこそ田村一等兵は、仲間の兵隊からもらった人肉は食うことが出来たが、自分自身の手で人肉をもぎ取ることはできなかったのだ。死ぬつつある将校から、俺が死んだら俺の肉を食ってよいよといわれた田村一等兵が、いざその将校の肉をナイフでそぎ取ろうとしたところ、ナイフを持った右手を左手が制止したのは、そうしたことのあらわれなのである。

それゆえ、心を空にしないで、つまりシラフの状態で人肉を食うような人間は、人間とは言われない、ということになる。そのような人間は、もはや人間としての資格を放棄したのであり、ただの生き物であるにすぎない。それも汚らわしく、忌むべき生き物である。それ故、田村一等兵に人肉を与えた兵士永松は、田村への好意にかかわらず、田村によって銃殺されなければならなかったのである。

人肉食いに比較すれば、人を殺すという行為には、抑圧はそんなに強く働かない。人を殺すのはよくないことであるが、戦争というものは、人を殺すことにこそ本質がある。だから兵士が人を殺すのはある意味当然のことなのだ。だが、それも時と場合がある。非戦闘員を殺すのはやはりどんな場合でも正当化できない。その正当化できない行為を、田村一等兵はしてしまった。フィリピン人の女を殺してしまったのである。だが田村一等兵は、意図的に女を殺したわけではなく、偶然が重なっていやおうなく殺す破目になってしまったといって自分を慰める。自分は意図してではなく、偶然の重なりによって女を殺す破目になってしまったのだから、後悔する必要はないという理屈だ。田村は自分に言い聞かせる。「後悔はなかった。戦場では殺人は日常茶飯事に過ぎない。私が殺人者となったのは偶然である。私が潜んでいた家へ、彼女が男と共に入って来た、という偶然のため、彼女は死んだのである」

田村一等兵は、放浪する途中に夥しい数の日本兵の死体を目にする。それらの死体は、ある場合には田村に道徳的な感情を起こさせたり、或はそれを食べ物として思わせたりもする。田村は、意識の底ではそれらを食いたいと感じているのである。無論、それには強い抑圧が働いて、食うという行為を田村にとどまらせたのであったが。

ともあれ、そうした同胞たちの死体を見て、田村がもっとも多くの場合に感じたのは、(逆説的な言い方になるが)無感動である。そんなものを見ていちいち感情が動いていては、まともに生きてはいけないのである。「人間はどんな異常の状況でも、受け入れることが出来るものである。この際彼とその状況との間には、一種のよそよそしさが挿まって、情念が無益に掻き立てられるのを防ぐ」

無感動になれることは限界状況を生き延びる為には必要な資質なのだ。そんな状況に直面して無感動になれない人間は死ぬほかはない。といって、死ぬことがそんなにひどいことともいえない。人が生き続けているのは、死ぬ理由がないからであって、生きることにそんなに重大な理由があるわけではない。田村一等兵はそう言うのだが、これは田村を通じて表出された大岡の人生観がもっとも強く窺われるところだ。

この小説の中の人間たちはみなシニカルである。田村もそうした一人なのだが、彼の場合には時たまキリスト教の神に救いを求めるところがある。田村は神を全面的に信じているわけではない。「神は我々が信じてやらなければ存在しえないほど弱い存在である」とまで言っている。だが、心のどこかで、神にすがりたい気持が働いているのを感じる。田村がフィリピン人の女を殺す破目になったのは、キリスト教会の十字架に惹かれてフィリピン人の村に立ち入ったからだ。この場合には、田村の淡い信仰心が、殺された女にとっては不運につながったわけだが、その信仰心が後になって田村に救いをもたらす。彼は最後には何者かによって後頭部を打撃され、それがもとで記憶の一部を失ってしまったのであったが、その中には思い出したくもないような、ひどい事柄が含まれていたに違いないと田村は考える。もし記憶が途切れていないで、いつも戦場のことを思い出し続けなければならないとしたら、それは耐え難いものになっただろう。自分からそうした記憶を消し去ったのは、神の思し召しかもしれない、そう考えた田村は、もしそうであれば、「神に栄えあれ」と言って、自分の物語、つまり「野火」という類稀な物語を締めくくっているのである。

この小説の中の最後に近いところで、戦争についての大岡の信念を語る部分がある。それを引用してこの小文を書き終えることとしよう。

「この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る小数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等にだまされたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遭ったような目に遭うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である」




  
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