日本語と日本文化


ナ入れ言葉:現代の係り結び?


「そうであったらいいナと思います」、「ぜひそうしたいナと考えます」といった言葉が何気なく使われているが、これらの表現に含まれている「ナ」は、意味の上ではなくてもよいものだ。こうした表現を筆者は自己流に「ナ入れ言葉」と呼んでいる。この言葉を始めて耳にしたのは、20年以上も前のことで、その折には非常に奇異に感じたものだが、いまでは、日本中に氾濫するようになり、それにともなって奇異な感じも次第に弱まってきた。

なぜ人々は、なくてもすむ「ナ」という音を、言葉の中に差し挟みたがるのか。筆者は時折考えることがあるが、どうもこれは、昔日本語の中にあって現在は消滅したとされている「係り結び」が、形をかえて復活しているのではないか、と考えるようになった。

「係り結び」には、疑問と強調の二種類があった。そのうち、疑問の方は、文末に「か」という助詞を加えることが普及するようになって、係り結びは必ずしも必要がなくなり、しだいに消えて行ったという歴史がある。消えてしまっても、言語表現上特に不都合はないので、今後も疑問の係り結びが復活する気配はない。

これに対して、強調のほうは、係り結びが消滅したことで、いささか不便を感じることがあったらしく、係り結びに代わって強調の役目を果たすような言語表現が、さまざまに試みられてきた。

それらの言語表現は、話し言葉の中に、「あー」とか「えー」とか「おー」とかいう余計な音を付け加えてみたり、ある部分を特に強く発音してみたり、相手の関心を呼び覚ますような言辞を差し入れてみたり、あるいは言語表現に身体表現を重ねてみたり、と、いろんな形をとった。

「ナいれ言葉」も、そうした試みの延長上にあるのではないか。筆者はそう考えたわけである。

それにしても、この言葉には、聊かスマートさに欠けるところがある、と感じているのは筆者だけだろうか。どこかしら、甘ったれたような、自信がないような言い方に聞こえるし、要するにシャキッとしたところが感じられないのだ。まるで、小さな子どもが母親に向かって、「ネエネエ」と甘えかけているような感じなのだ。これは強調の表現としては、ちょっと異様な形と言わざるを得ない。




  
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