日本語と日本文化


擬音語・擬態語:山口仲美「犬はびよと鳴いていた」


山口仲美さんの本「犬はびよと鳴いていた」(光文社新書)を読んだ。山口さんは日本語の歴史的な発展過程に造詣が深いらしく、この本の中では擬音語や擬態語の歴史的な様相に光をあてていた。題名にある犬の鳴き声の考察では、室町時代まで、犬は「びよ」と鳴いており、それが江戸時代に「ワン」と鳴くようになったのは、犬の生活様式の変化と関係がある、などと凡百には気づかないことをあきらかにしてくれる。

たしかに狂言「柿山伏」のなかで、柿を盗もうとして持主にとがめられた山伏は、犬の真似をするときに「びよ」と鳴いて見せている。この「びよ」という啼きかたは、犬の遠吠えをあらわしているのだと山口さんは推測する。狂言のなかの見とがめられた山伏は、犬の遠吠えを真似て、啼いてみせたのであろう。

室町時代までは、犬はまだ野性的な暮らしをしていて、人間の死体を貪り食ったなどと云う記録もあるらしい。そういう犬には「びよー」と猛々しく伸ばして鳴くのが相応しいのかもしれない。ところが江戸時代になると、犬はすっかり人間に馴れてしまって、人間の前では「ワン」とおとなしく啼くようになったわけなのであろう。

山口さんは、日本語ほど擬音語や擬態語が多い言語は珍しいといっている。ある調査によれば、日本語の擬音語、擬態語の数は、英語の倍に上るという。どうしてそうなのか、山口さんはあまり踏み込んだ考察をしてはいない。ただ日本語に擬音語・擬態語が多いという特色を踏まえて、日本の文学作品がそれを良く生かしてきたという歴史に言及しているばかりだ。

筆者などは、ヨーロッパ諸語と比較して日本語に擬音語・擬態語が多いのは、言葉の成り立ちに理由があると考えている。

どの言語もむやみやたらに言葉を作るものではなく、そこには一定の法則性がある。ヨーロッパ言語ではその法則性は、語幹と云われるものを中心に成り立っている。たとえば英語で、mit という語幹が作られると、それを軸にして emit, commit などの動詞が作られ、それをもとに形容詞 emittable, 名詞commission などが作られるという具合に、語幹を展開させることで、品詞の体系を作り上げていく。

日本語でこの語幹形成に最も多く与っているのが、じつはオノマトペといわれる擬音語、擬態語で、なかでも擬態語の比率が圧倒的に多い。英語などでは擬音語は豊富にあるが、擬態語は非常に少ないのと比較すれば、日本語が擬態語を多く抱えた言語であること、しかもその擬態語が言葉の語幹として用いられ、名詞、動詞、形容詞などの形成と深くつながっている、そのことが良くわかってくる。

一例として光の諸要素を表す言葉を取り上げてみよう。昼の明るさを表す「明るい」、夜の暗さを表す「暗い」、夜が明けることを表す「白む」、これらはいずれも擬態語が起源なのである。

「あかあか」という擬態語は、もともと太陽の光を表す表現だった。そこから「赤」という名詞が派生し、「赤らむ」という動詞が派生した。明らか、明けるなども「あかあか」から派生した言葉である。

暗さをあらわす擬態語は「くろぐろ」といった。そこから「黒」という名詞が派生し、「黒む」あるいは「黒ずむ」という動詞が派生した。眩む、暗闇などの言葉も、「くろぐろ」に起源を有している。

「しらじら」という擬態語は、無色あるいは透明な感じを表した擬態語だ。そこから「白」という名詞が派生し、「白む」という動詞が生まれた。しらげる、しらばっくれるなども「しらじら」に起源している。

こんな具合に、日本語では非常に大きな割合の言葉の語源が擬態語から発生している。何故そうなのかはわからない。その辺のところを含めて、擬態語が日本語にとって持つ意味合いを、本格的に研究すべきだろうと思う。




  
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