日本語と日本文化


愛する:日本語を考える


「愛する」という動詞と、その名詞形である「愛」という言葉は、愛情表現を広く表す言葉として、今日の日本語に定着している。それは、男女の性愛を中心として、親子の間の家族愛や、場合によっては動物への慈しみの感情までカバーしている。しかし、こんなにも便利な言葉であるこの「愛する」が、日本語の中に定着したのは、そう遠い昔のことではない。精々遡っても、明治時代より前には遡らないのである。

「愛する」という言葉は、西洋文学の翻訳語として使われたのが始まりだと思われる。西洋文学には男女の性愛を中心にして、今日我々が「愛」とか「愛する」とか言う言葉で表現する事柄がフンダンにでてくるが、これに対応する言葉が日本語の語彙の中にはなかった。それで、仕方なく漢語の中から「愛」という言葉を引っ張りだして来て、これに西洋諸国語における愛を現す言葉~英語ならラヴ、フランス語ならアムール、ロシア語ならリュボーフィ~に対応させようとしたわけである。

では、西洋語の「愛」に出会う前には、日本語には「愛」に相当する言葉がなかったかと言えば、そうではない。男女の性愛を表現する言葉は無論あったわけだし、家族愛や動物愛を表現する言葉もあった。ただ、それらが西洋語のように「愛」という言葉で一括して表現されたのではなく、愛の様々な様相に応じて、きめ細かく使い分けられていたのである。

例えば男女の性愛について言えば、英語ではラヴの一語で済んでしまうが、日本語では様々な言い方がなされる。恋ふ、慕ふ、思ふ、焦がる、惚れる、などがその例であって、それぞれの言葉は男女の性愛を現しながらも、すこしずつニュアンスを異にしている。

男女の性愛をめぐって様々な表現の仕方がある一方、親子の家族愛をめぐってもそれ相応の表現の仕方がある。大事なのは、男女間の性愛と親子の家族愛は厳しく区別されており。男女の性愛表現は決して親子の間には適用されない。親は子どもを「いつくしむ」とはいえても、「恋する」とか「惚れる」とは決していわない。また、動物に対する愛情を巡っては、「可愛がる」とはいえても、「慕ふ」とは決していわない。

英語においては、親子の間にとどまらず動物を相手にしても「ラヴ」を使うのとは、大きな違いである。その大きな違いを感じさせる言葉が、明治以降文学作品を通じてなだれ込んできた。そのときの日本の翻訳者たちには、ラヴという言葉を、其れが使われている状況に応じて、それぞれに対応する日本語に区分けして表現するという方法もあったわけだが、そうだと、ラヴという言葉のニュアンスが正確に伝わらない。かといって、ラヴに直接対応する言葉が日本語にはない。というわけで、当時の日本の翻訳者たちは、苦肉の策として、漢語の中から「愛」という言葉を引っ張りだして来て、それをラヴの対応語にあてたわけなのである。

では漢語の愛が、英語のラヴに正確に対応する意味内容を持っているかと言えば、決してそうではない。漢語の愛には、愛惜とか愛好とか言う意味内容があるとおり、愛は必ずしも英語のラヴとは一致しない。しかし、日本語として手垢にまみれていない点で、新たな造語の対象とはなりやすかった。そんなわけで、英語のラヴに相当する言葉として愛という言葉が使われるようになったのだったが、それ以来、愛はただ単に翻訳のための言葉であることを超えて、日常の日本語にも溶け込んでくるようになった。そしてその過程で、日本人の愛についての感性にも新たな次元が付け加わってきた、ということなのだろう。

ところで、英語のラヴに相当する言葉が日本に入ってきたのは、明治以前にもあった。近世の初期にキリシタンが日本にやってきて、「愛」という言葉を日本人に教えようとしたのがそれである。しかし当時の日本人には、この「愛」を漢語の「愛」で表そうという発想が浮かばなかった。そのかわりに彼らが採用したのは「お大切」という言葉だった、と評論家の山崎正和がいっている。(丸谷才一との対談「日本語の21世紀のために」)

何かを「大切に感じる」その感性、それが近世初期の日本人にとって、「愛」の中核をなすものだったのだろう。




  
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