日本語と日本文化


単独講和と戦争責任:中村政則「戦後史」


サンフランシスコ条約に基づくいわゆる「単独講和」が冷戦の産物だったということは、現代史学者の大方の了解事項だ。日本近現代史学者中村政則氏もそういう立場に立っている。(中村政則「戦後史」岩波新書)この単独講和によって、日本はアメリカの世界戦略に組み込まれていくのだが、そのことによって、日本の対米従属が明らかになり、また日本の戦争責任があいまいになった、そう中村氏は指摘する。以下、氏の主張の概略を紹介しながら、単独講和のもった意義について考えたいと思う。

アメリカが日本との単独講和を急いだのは、台頭する共産主義勢力へ対抗するためだった。ソ連とはすでに終戦直後から対立の兆しが表れていたが、1949年に中国共産党が大陸での覇権を確立し、引き続いて朝鮮戦争が勃発する。こうした状況を前にして、アメリカは日本を東アジアにおける対共産主義の戦いの最前線として確保する必要に迫られた。そのためには、日本を政治的にアメリカに従属させるとともに、日本国内とりわけ沖縄の軍事基地を引き続き利用できる体制を確保する必要があった。サンフランシスコ条約は、日本を政治的にアメリカに従属させることを意図したものであり、日米安保条約は、日本国内の基地をアメリカに使用させることを意図したものであった。だからアメリカにとって、サンフランシスコ条約と日米安保条約とは一体のものだった。

一方日本側でも、講和問題に政治生命をかけていた吉田茂首相は、日本への共産主義勢力の浸透を防ぐためには、ソ連・中国を排除した自由主義陣営との単独講和を進める以外に選択肢はなく、早期に講和を結ぶためには、米軍の駐留を認めても良いと考えていた。こうして、日米支配層の思惑が一致し、ソ連・中国を排除し、また朝鮮など旧植民地を度外視した形で、戦争の決算たる講和条約が結ばれた。

これに対して日本国内の全面講和を主張する勢力は、戦争で中国・朝鮮及び東南アジア諸国に多大な犠牲を強いてきた日本が、これらの国々を排除した講和を結ぶのは倫理的にも許されないと批判したが、そうした声はほとんど無視された。

単独講和を選択したことで、あるいはさせられたことで、日本はアメリカに深く従属するようになるが、そのことは外交自主権の放棄ともいうべき事態をもたらし、日本の戦争責任をうやむやにすることにつながった、と氏は言う。その結果、中国や韓国との間で、歴史認識を巡って今日まで対立するような事態を生み出しているのだというわけである。

韓国との間では、1965年に日韓基本条約が結ばれ、日本は植民地支配の清算を核とした戦後処理をおこなった。この時の交渉の過程で、韓国の朴正煕政権が日本の賠償責任を深く追及しない姿勢を見せたこともあって、日本側は、韓国への植民地支配について、自らの責任を強く認めないでも済んだ。「有償無償あわせて5億ドルの供与は、賠償でもなければ請求権の肩代わりでもなく、"経済協力"という、なんとも摩訶不思議な名目に変った。日本側の言い分は、韓国はサンフランシスコ講和会議にも呼ばれていないので、戦勝国ではなく、したがって賠償を請求する権利をもたない」というものであった。また、1910年の日韓併合についても、その法的効果について、双方の理解を一致させないままに終わった。こうしたことが、歴史認識を巡って、日韓両国が今日までギクシャクしている事の基本的な要因となっている。

中国への戦争責任や韓国に対する植民地支配の責任を明確に認めない姿勢は、アジア・太平洋戦争そのものについての、日本側の歴史認識を曇らせることともなった。日本はアジアの多くの国々にとっては確かに加害者であったが、といって、この戦争のすべてについて、日本だけが全面的に悪かったというわけではない。にも拘わらず、アジア太平洋戦争は日本のファシズム勢力が起こした全面的な侵略戦争であったというような主張が一方にあるかといえば、この戦争はアジア諸国を西洋の植民地支配から解放するための正義の戦争であったというような主張が叫ばれたりもするわけである。これは、戦争責任について正面から向き合おうとしない姿勢から生まれるものであって、日本人はいまだに戦争の亡霊から自由になっていないことの証拠だと、氏は言いたげなのである。

そこで氏は、アジア太平洋戦争を四つの局面に分け、それぞれについて、日本人の戦争観をキチンと整理しておく必要があるという。それを氏は、次のように整理する。

① 対中国~これはあきらかに日本の中国に対する侵略戦争であった
② 対東南アジア諸国~これは日本の身勝手な侵略行為であり、謝罪する必要がある
③ 対英米仏蘭~これは帝国主義国間の戦争であって、日本だけが悪いのではない
④ 対ソ連~ソ連の満州などへの侵攻は、日ソ中立条約違反の侵略行為であった

このような、それぞれの相手国との具体的な関係をきちんと整理したうえで、被害を与えた国々には率直に謝罪する一方、戦争に負けたことで、必要以上に卑屈になることはないというのが、氏の立場のようだ。そうした立場に立てば、日本はアメリカに対してあれほど卑屈になる必要もなかったし、ソ連に対しては侵略の不当性を追求できる立場にあるわけである。それがそうはならなかったのは、日本人がアジア太平洋戦争について、正面から向き合ってこなかったことの代償なのだ、そう氏は指摘するわけなのだ。

氏はまた、この戦争に関する昭和天皇の責任についても問題にしている。「昭和天皇が退位もせず、また自らの戦争責任について何も語らずに終わったことは戦後日本史、とくに日本人の精神史に計り知れないマイナスの影響を与えたと私は考える。中でも日本人の戦争責任意識を希薄化させただけでなく、指導者の政治的責任、道義的責任の取り方にけじめがなくなった」というのである。

筆者のように戦後生まれで、戦争の何たるかを身を以て知らない世代は、昭和天皇の戦争責任を云々するということは、ほとんど思い浮かばないが、氏のように、子供ながらに戦争を体験し、ひどい目にあっている世代には、こうした発想が自然に浮かぶのかもしれない。




  
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