日本語と日本文化


雨宮昭一「占領と改革」


日本の敗戦と戦後改革に関する著者の視点は、断絶ではなく連続を重視するものである。まず、敗戦については、「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下とソ連の満州への侵攻が決定的だったとよく言われるが、果してそうだろうか」と問い、敗戦が必ずしも強いられた決定だったのではなく、日本国内に敗戦を望む潮流が成立していたことが、敗戦を可能にしたとして、日本国内の条件を重視している。

また戦後改革についても、勝者による一方的な命令を唯々諾々と受け入れたのではなく、日本側にも自主的に改革を推進する流れが生じていた、したがって占領と言う事態がなかったとしても、戦後改革の柱となったもろもろの措置は遅かれ早かれ自主的に実施されたであろうという。

この連続性の担い手となったのは自由主義派の勢力であると氏はいう。この勢力が、戦争末期に反東条ラインの結成を成功させ、敗戦を早めに決定したこと、また戦後は国内の権力を掌握することで、彼らを中心に改革が実施されていったことを、氏は重視するわけである。

もしも反東条ラインが成立せず、東条が引き続き権力を握っていたならば、恐らく本土決戦という事態にまで発展し、日本は全面的な崩壊と権力の空白という事態を迎えたに違いない。そうなれば、日本側の権力を活用しての間接統治ということは問題にならず、占領軍による直接統治という事態になっていたかもしれない。その場合、日本もまたドイツと同じような統治形態を蒙った可能性がある。こんなわけで、国内における自由主義派の勢力が、反東条ラインを成功させたことの歴史的な意義を、氏は非常に高く評価するわけである。

以上は権力の担い手に着目しての連続性であるが、日本社会の内部の動きにも敗戦前と敗戦後との間に連続性を認めることができる、と氏は言う。そうした連続性があったからこそ、戦後改革は外からの強制として否定的に受け取られたのではなく、自主的に実施すべきものとして、肯定的に迎えられた、というのだ。

たとえば、婦人の参政権についてみてみよう。「婦人参政権運動は1910年代までの大正期には高まっていた。また、総力戦体制のもとで女性の地位は、飛躍的に向上していた。女性の職場への進出や大政翼賛会など翼賛体制の中央、地方領域の各レベル幹部への女性の進出などにそれがよく表れている。だから占領軍に指摘されようとされまいと、女性の社会的な地位の向上と発言権の拡大がすでにあって、遅かれ早かれ婦人参政権の付与はありえたのである」

また、労働運動についても、「このように1920年代以来労働法が準備されていたこと、かつ、総動員体制の中で労働者の地位が上がっていたことに加えて、敗戦によって新たに国内市場を大きくせざるを得なかったことが労働組合法制定を促したのである」といって、日本国内における連続性のある動きが、戦後改革に大きく作用していると考えるわけである。

ところで、戦後改革は、単に自由主義的な色彩にとどまらず、かなり社会民主主義的な色彩をも帯びている。生存権や労働権の問題などはその最たるものである。このような改革は、占領軍による外からの要請と言うよりは、むしろ日本国内の動きに触発された側面が大きいと氏はいう。

東条らによって進められた総力戦体制は、国民に犠牲を強いる一方で、国家社会主義というべきものを通じて、国民の福利厚生にかなり配慮するという面ももっていた。それが戦後の社会民主主義的傾向に自然と結びついたのではないか、氏はそう考えるわけである。

こんな具合で、権力の担い手から見ても、また社会の発展の動きから見ても、戦後改革はそれまでとは断然した動きとして突如現れたのではなく、戦前からの連続性のもとで、いわば行われるべくして行われたという側面をもっているというわけである。

憲法については、「押し付けられた憲法であることは否めない事実で、これは占領と言う厳然たる戦争状態継続の中で受け入れなければならなかった一つの形態であった」と氏はいう。

憲法の中で今でも問題になっている戦争放棄の条項については、氏は次のようにいう。「マッカーサーは国際的な非難と危惧の中から天皇制を救い出すには、天皇を象徴とするだけでは足らず、戦争を放棄するしかないと考えたのである。これは日本人の意識と言うよりも、現実的には敗戦国における武装解除の法的表現であった、といってよい」

では、現憲法はいまだに日本人にとっては自主的に選んだ憲法ではなく、したがって真に自主的な憲法を持つ必要があるというのだろうか。そうではないと氏はいう。たしかにその出自においては、現憲法は押し付けられたものには違いないが、日本国民はそれを1955年の時点で主体的に選び直したのだと氏は言うのである。

その年行われた総選挙では、憲法改正が最大の争点となった。その時に及んで、日本国民は憲法改正に必要な票を、改正推進論者たちに与えなかった。つまり、戦争はしないという決意を、憲法を擁護するという形で、自主的に示したというのである。




  
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