日本語と日本文化


寿司の食い方:江戸前の握り寿司と華屋与兵衛


現在我々日本人が普通に食っている握り寿司は、文政年間(1820年代)に江戸の寿司職人華屋与兵衛が発明したということになっている。与兵衛は酢飯の上に魚を乗せ、それを掌で握り締めて客に出した。魚は江戸前でとれたもので、アナゴ、鯖、こはだ、車海老といったものが中心だったらしい。江戸前寿司とは、そうした材料から出た言葉だが、握り寿司が江戸で始まったという事情も含んでいるのだろう。

与兵衛は魚を下ごしらえした上で酢飯に乗せた。だから醤油などはつける必要がなかった。わさびを挟むやり方も与兵衛の考案になるという。これはマグロなどの鮮魚を乗せる際に、毒消しの意味があったようだ。

与兵衛以前に、江戸の人々はどのような寿司を食っていたか。三田村鳶魚翁によれば、宝暦(1750年代)の頃までは、寿司は事前に料理屋に注文してあつらえさせていたようで、じっくりと発酵させる古寿司だった。それが宝暦の頃、和州の釣瓶寿司というものが江戸に出店を出して早寿司を売るようになった。早寿司とは、じっくり時間をかけて発酵させるものではなく、酢飯の上に魚を乗せ、それを笹などにくるんで箱に並べ、重石を乗せて二三日置くというものであった。古寿司に比較すればスピードは上がったが、それでも即席の握り寿司に比べれば随分と悠長な作り方をしていたのである。

寿司が盛んになるのは天明の飢饉以後のことだという。往来の屋台で寿司を食わせる店が増え、人びとはそこで立ち食いをした。一時期江戸のすし屋は蕎麦を売る店の倍もあるというほど繁盛したらしい。同時に棒手振りにも寿司を売るものが多くなった。

こうした事情があったからこそ、華屋与兵衛の江戸前寿司は大いに民衆に迎えられたのである。

天保三年(1832)に、江戸の近海でマグロが大量にとれたことがあった。あまりにも多くて使い道がないので肥料にまでされたということだが、この時に如才のない人間がマグロの身をそいで寿司のネタに使ったところ、なにしろ安かったこともあって、これが大人気を博した。それまではマグロも醤油にくぐらせるなど下ごしらえをして出すというのが流儀であったものが、鮮魚のまま寿司に使うようになった。

徳川時代には冷蔵技術が発達しておらなかったから、寿司のネタに鮮魚を使うことには冒険が伴ったのだが、人の舌というものはやはりうまいものを求めるものだ。寿司に鮮魚を使う方法は、次第に広まっていったのである。

ところで今日でも、寿司屋といえばカウンターで寿司職人と顔を向き合わせながら食うというのがツウの流儀とされている。これには歴史的なわけがある。江戸の寿司屋には座敷で食わせる高級な店もあったが、大部分は屋台で、台を囲んで客と職人が向き合うという流儀が支配的であった。その雰囲気が今日の寿司屋にまで受け継がれているのである。

最近は回転寿司というものが流行しているが、これにも屋台の伝統が作用している。また徳川時代の寿司屋には、あらかじめ造りおいていたものの中から、客が自分の好みに従って食うという流儀があった。これもまた背景として働いているのではないか。

握り寿司以前の伝統的な寿司は「ナレ」あるいは「生ナレ」といって、多かれ少なかれ発酵の技術を取り入れたものであった。基本的には保存食として発明されたもので、わが国では古代以来の長い歴史がある。また土地によって、さまざまなバリエーションが生じもした。

近江の鮒寿司や北九州のさば寿司など、今日に伝わるうまい押し寿司はいくらでもある。おいおい時間と金の許す限りで食い比べをしたいものだ。


    


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