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古代日本の食物:縄文・弥生時代の主食と副食


縄文時代から弥生時代の古代日本人が、おもに何を食べていたかは、貝塚や集落遺跡の調査を通じて次第に明らかにされつつある。

縄文時代の食物については、大森貝塚の発見以来、貝塚の調査が主流であったこともあり、とかく魚介類に焦点があてられがちであったが、内陸部の縄文集落の遺蹟調査が進むにつれて、縄文人の食生活の全体像が明らかになってきた。

縄文時代は基本的に食物採集の文化であったといえる。縄文人たちは採集した食物を食べ、余ったものは穴や屋根裏に貯蔵して、必要に応じて取り出したものと思われる。貯蔵されていた食物の内訳は、クルミ、クリ、トチ、ドングリなどの堅果類が中心である。このことから、縄文人の主食はこれら堅果類であったと推測される。なかでもドングリ類の比重が高かったものと思われる。

これら堅果類を縄文人たちはどのようにして食べていたのだろうか。クルミとクリはあくが少ないので、そのままでも食べられる。ただし、クルミは脂肪分が強すぎるので、よく乾燥させるなどして脂肪を取り除いてから食べたのだろう。

これに対して、トチとドングリ類はアク抜きしなければ食べられない。ドングリ類のアクは水溶性であるので、加熱と水さらしを重ねてアクを抜いた。縄文土器はそのために発達したのだと思われる。あの大型でシンプルな形は、大量のドングリをあく抜きするのに、威力を発揮したのだろう。

トチのほうは非水溶性であるので、あく抜きには灰が用いられたようである。これは技術を伴うため、縄文時代後期以後に行われたものと思われる。縄文時代後期には、堅果類のほか、クズ、カタクリ、ユリなどの球根も、ドングリのあく抜きの方法を用いて食用にされたようだ。

トチやドングリは製粉した上で、クッキーのように焼き上げて食べたり、粥や雑炊にしたようだ。クッキーは主に携帯食であったらしく、日常的には粥や雑炊が主流だったのではないか。そのほうが腹持ちしただろう。

一方副食の中心は魚介類であった。それには地域差があった。列島北部の寒流域ではトド、アザラシ、オットセイ、サケなどが採られ、暖流域ではタイ、サメ、イルカなどが採られるほか、二枚貝、サザエ、アワビなども盛んに採られていた。魚肉は燻製にして貯蔵され、また内陸部にも運ばれた。その内陸部では、コイ、フナ、アユ、シジミなどが主に採られていた。

動物も食べられていたらしく、縄文遺跡からは獣骨も出土している。代表的なのはシカとイノシシであり、そのほか、クマやカモシカ、キツネ、タヌキ、ノウサギなどがあった。

こうしてみると、縄文人の食生活は採集文化という制約はあったにせよ、日本の国土がもつ豊かな自然に恵まれ、思いのほか多彩なものだったことがわかる。

縄文時代末期から弥生時代にかけて、水稲の栽培が日本に伝わり、それ以降今日に至るまで、米が日本人の主食となる。

だが弥生時代においては米の生産性は低く、米だけで主食をまかなうには不十分であった。今でこそ反当り10俵(40斗)以上の収穫が可能になったが、弥生時代にあっては、前期では2斗から5斗、後期でもせいぜい8斗ぐらいだった。それから換算すると、弥生時代における一人一日あたりの米の消費量はせいぜい一合前後だったと考えられる。(日本人の平均的な米の消費量は、中世以降明治・大正時代に至るまで、一日あたり4合である)

だから弥生時代人たちは依然、米で足りない部分を縄文時代以来の主食、ドングリ類で補っていただろう。時には米とドングリの粉を混ぜ合わせて食べていたに違いない。

弥生時代には畑作も発達したようだ。稲の栽培技術をもとに、畑での植物栽培も始まり、ここに日本人は本格的な農耕時代に入った。

弥生時代の畑作物の代表は麦類である。大麦と小麦が大部分を占める。またヒエやアワ、豆類なども多く栽培された。弥生人たちはこれらをドングリにかわる第二の主食として取り入れ、米と混ぜ合わしたりして食べていたものと思われる。

一方ウリ科の植物や果実類の栽培も始まり、弥生人たちの食生活は飛躍的に豊かなものとなった。

米が日本人にとって主食としての地位を次第に高めていくのに伴い、副食には魚介類の比重がますます高まっていった。こうして民俗の存続のために必要な栄養の体系が形成されていくのである。

中国では米の普及に伴い、すでに新石器時代において、牛、豚、アヒルなどを食肉用に飼う習慣が広まっていた。それが今日の中華料理につながる伝統を形成していく。だが日本ではこれらの獣肉が食卓の主役になることはなかった。豊かな漁業資源が、米と魚を中心にした日本の食文化を形作っていったのである。

(参考)
・ 渡辺誠「縄文時代の食べもの」
・ 寺沢薫「弥生時代の畑作物」


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