日本語と日本文化


平安時代の食生活:和名類聚抄から読み取る


平安時代の日本人は何を食べていたか。日本人は古来、食生活を軽んじて、これを詳細な記録に残すということをしなかったので、詳しいことはわからないが、幸い平安時代中期(10世紀前半)に編纂された辞書「和名類聚抄」が、当時の食物や調理に関する項目を設けているので、これを通じて平安時代の食生活の一端に触れることができる。

食べ物の種類について、和名類聚抄は、飲食部、稲穀部、菜蔬部、羽族部、毛群部、鱗介部、草木部といった具合に、独特の基準に従って分類している。そのままではわかりにくいのであるが、現代的な感覚にしたがって、これを分類整理してみると、次のようになろう。

まず主食として食べられていたであろう穀類には、稲類、麦類(大麦、小麦、カラスムギ)、アワ、キビ、ヒエなどがある。平安時代にもなると、主食としての米の地位は圧倒的だったと思われるが、上流階級は別として、庶民は米に加えてアワやヒエなどの雑穀を食べていたと推測される。(混ぜ合わせて粥にしたのだろう)

平安時代には、遣唐使によって唐食が伝えられ、日本人も麦を麺にして食うようになった。そのため麦の栽培が本格化している。(麺の中でも今日ポピュラーなラーメンは、徳川時代に日本に亡命した朱舜水によってもたらされた。だからこの時代の麺はうどんのようなものが主流だった)

豆類やイモ類は主食を補完するものとして食べられていた。豆類には、大豆、小豆、クロマメ、ササゲ、エンドウマメなどがあり、イモ類には山芋やクワイがある。南洋では古来サトイモの類が主食としてよく食べられているが、日本ではクワイがその代用をつとめたようだ。今昔物語の説話に出てくる芋粥は、山芋を米と一緒に粥にしたものであるが、芥川龍之介の小説にあるとおり、そう簡単には手に入らなかったようだ。

一方副食についていえば、和名類聚抄が記す食物の中でもっとも種類の多いのは野菜である。ウリ類(弥生時代以来の野菜の中心)、蒜類(ねぎ、にら、にんにく、ラッキョウなど)、水菜類(せり、ジュンサイなど)、園菜類(アオナ、カブラ、タカナ、カラシナ、フキ、こんにゃくなど)、野菜類(ナスビ、アブラナ、ワラビ、ゴボウなど)、草類(ウド、イタドリ、蓬、ユリなど)、蓮類、葛類、たけのこ、タラノメ、ククタチ、キノコ類など多彩なものが記録されている。

動物性蛋白の補給源としては、魚介類が中心であった。これは日本の国土がもたらす海の恵の豊かさを反映して、ほとんど今日と異ならないバラエティ振りを示している。もっとも良く食べられていたのは、イワシなどの沿海魚とあゆなどの淡水魚だったと思われる。あわせてスッポンや貝の類、海草などの水産物が大いに食べられた。

動物も、水産物に比べれば比重ははるかに軽いが、食べられていたようだ。羽族として、ヤマドリ、ハト、カモ、ウズラ、カモメ、キジ、スズメなどがあり、毛群族として、クマ、アシカ、アザラシ、シカ、カモシカ、タヌキ、キツネ、イノシシ、ウサギなどが記されており、犬も食用にされていたことが伺われる。また牛や馬、鯨やイルカなども食べられた。

興味深いのは、この時代に乳製品がとられていたことだ。おそらく遣唐使によって唐から伝わったのだろう。今日よく食べられている卵については、蚕を食するくらいで、鶏卵はほとんど問題になっていないようだ。

果実の中では、桃、スモモ、ウメ、カキ、タチバナの実、梨、石榴、枇杷などが良く食べられていたようだ。

堅果類は弥生時代以前の日本の食物を代表するものであったが、この時代には、クリやトチなどが引き続き食べられていたとはいえ、ドングリの類を食べることはなくなり、まして主食の代用にもやならなくなっていた。

こうしてみると、平安時代における食べ物の種類は、想像以上に豊かだったことがわかる。

ではこれらの食物はどのように料理されていたのだろうか。興味深いのは味付けや調理の仕方であるが、和名類聚抄は調味料についても記録している。

味付けすることを今でも塩梅するというが、平安時代における味付けの基本は塩と酢だったようだ。このほか和名類聚抄が記す調味料には、醤(ひしほ)、味醤(ミソ)がすでにあり、わさび、ハジカミ、タデなどが味付けに用いられていた。醤と味醤は今日の醤油や味噌のルーツというべきもので、大豆に小麦の麹を加えて発酵させたものを塩で味付けしたものである。

料理という言葉は平安時代すでに用いられていた。そして料理人のことを庖丁といった。料理法には、膾のようななまもの、蒸もの、茹もの、煮物、こごり、焼もの、吸もの、あえもの、干物、漬物などがある。油でいためるという方法はまだ登場していない。

魚介類や獣肉は生のものをそのまま食べたり加熱したりしたほか、干物にして保存食にそなえた。庶民が食べていたのは、運搬の都合からしても、干物が殆どだったのではないか。

このように料理されたものが、平安人の食膳を飾ったと思われるのだが、その食事は非常に質素なものだったようだ。上流階級は別にして、中流の人々にあっても、せいぜい一汁三菜程度であったことが、平安時代末期の絵草紙などに描かれている。それを見ると、米の飯と汁に添えて、干物を焼いたものと、野菜類のあえ物や漬物が並んでいるにすぎない。

(参考)戸田秀典「平安時代の食物」


    


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