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世阿弥の能楽論


世阿弥は生涯に多くの能楽論をあらわした。それらを時期に応じて分類すると、「風姿花伝」に代表される初期のもの、「花鏡」に代表される中期のもの、「習道書」に代表される後期のもの、ということになろう。「風姿花伝」の本体部分を書いたのは応永七年(1400)から同九年にかけて。これは、長男の元雅が七歳になったのがきっかけだったと思われる。「年来稽古条々」には、稽古の始めは七歳と書いている通り、元雅にも七歳で稽古を始めさせるについて、父親として、自身の体得した能の極意を子や孫に伝えたいという動機が、「風姿花伝」を執筆させたのであろう。

「風姿花伝」の特徴は、父親の観阿弥から受け継いだ能についての考えが多分に盛られているということである。観阿弥は、申楽を大成させた人物だが、その作風は猿楽と呼ばれていた時代の雰囲気を多分に取り入れたものだった。農村を対象にしたことから、物まね中心のにぎやかな芸が重宝された。だが観阿弥はそれだけに満足せず、芸に新風を吹き込んだ。曲舞を取り入れたのである。従来の申楽は、小唄節とよばれるメロディ主体の単調な歌を中心に成り立っていたが、観阿弥は曲舞をとりいれることによって、歌や演技にリズム感を持ちこんだ。小唄節は、いわば語りの延長のようなものだが、曲舞は本格的な音楽芸術といってよかった。世阿弥は一貫して音曲を重視していたが、それは父親の姿勢を受け継いだといってよい。

「風姿家伝」を書いたころ、世阿弥は能役者として全盛期にあった。父観阿弥は、農村相手の演芸から出発し、寺社への奉納演劇に進出し、やがて武家や公家の保護を受けるようになった。芸能者としてたたき上げの出世コースを歩んだわけである。一方息子の世阿弥は、十二歳にして将軍に気に入られ、とんとん拍子に出世した。その出世を背景に、家業としての申楽を子孫に伝えたいという意欲がかれに「風姿花伝」を書かせたのだと思う。内容的には、父親の芸能観を要領よくまとめる一方、観客への気配りを強調している。観客のなかでも、保護者である将軍や公家へはとりわけ気を配っている。演劇は本来観客との相互作用のようなものではあるが、申楽の場合には、観客である武家や公家の評判をとらねば繫栄することはできない。そういう意識が世阿弥には一貫してあって、それが観客の評価を過度に意識させたのであろう。

応永十五年(1408)、将軍義満が死んで義持があとを嗣ぐと、世阿弥は不遇な立場に置かれるようになる。義持は田楽を贔屓にして申楽は好まなかった。それに加えて、義満への異常な対抗心があって、義満が好んだものをことごとく退けた。そんなわけで、世阿弥の観世座は表舞台から遠ざからざるをえなくされた。地方への巡業を主体にせざるをえなくなったのである。とはいっても、田舎の趣味に迎合するようなことはしなかった。世阿弥が父親から独立して自分自身の能楽観を確立するのは、その不遇な時代においてなのである。かれはその自分自身の独自の能楽論を、応永二十五年(1418)ころから執筆しはじめる。その年、「花鏡」の準備作業として「花習」を書き、「風姿花伝別紙口伝」を経て、「至花道」(1420)、「花鏡」(1424)と執筆していくのである。

これら中期の能芸論で展開しているのは、「花」という概念であり、また、幽玄ということであった。幽玄はすでに観阿弥にも見られたが、世阿弥はそれを純化させた。その結果、申楽の重要な要素であった演劇的な面白さが軽視された。今日でこそ、能は幽玄を主とすると誰もが認めているが、世阿弥の時代には、幽玄味だけでは観客の満足は得られなかった。そういう意味では、世阿弥はむしろ少数派だったのである。観世流の主流が弟の四郎の家系に移ったことの背景には、そんな事情もはたらいたと思われる。

正長元年(1428)、義持が死んで義教が跡を継ぐと、世阿弥はさらに厳しい境遇におかれるようになる。それまでは、不遇といった境遇だったものが、迫害されるようになるのである。その迫害は、佐渡へ流されるという形をとる。佐渡へ流されるのは永享六年(1434)世阿弥七十二歳のことであるが、晩年の世阿弥は能の表舞台とはまったく無縁になってしまった。義教の時代には、申楽にも出番が与えられたが、観世座は弟四郎が代表することとなった。

後期つまり晩年の能芸論「習道書」は、「申楽談義」とほぼ同時に成立した。「談義」の中では「習道書」への言及がいくつかあるから、並行して書かれたと思われる。「談義」は次男元能による父世阿弥からの聞き書きという形をとっており、「習道書」は、世阿弥が観世座一門の成員にあてたものである。

なお、世阿弥の能楽論は、観世四郎(音阿弥)の家系ではなく、金春の家系が継承・保存してきた。金春流五十七世禅竹が世阿弥の娘婿だった縁からである。


世阿弥「風姿花伝」を読む

風姿花伝を読むその二 物似条々

風姿花伝を読むその三 問答条々

風姿花伝を読むその四 神儀云・奥義云・花修云

風姿花伝を読むその五 別紙口伝

至花道 世阿弥の能楽論

花鏡 世阿弥の能楽論

花鏡その二(事書十二か条) 世阿弥の能楽論

花鏡その三 世阿弥の能楽論

九位注 世阿弥の能楽論

申学談義 世阿弥の能楽論



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