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柳宗悦「南阿阿弥陀仏」その二:浄土諸宗の比較


柳宗悦は、他力を自力と比較する一方、他力内部の発展について分析する。柳は他力を代表する信仰として、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗を上げるのであるが、これら三つの宗派を並行的に並べるのではなく、発展の各段階として見る。しかして一遍の時宗を、他力門の発展の頂点とする。時宗はいまや勢力が衰え、浄土宗や浄土真宗に比較して信者も少ないのであるが、しかし宗旨のうえでは他力門の行き着くところまで発展したものだという見方を柳はするのである。もっともこの三つの宗派は、いずれも不可欠のものであって、どれを欠いても三者は互いにその歴史的意義を失う、と柳は言う。

そこで、この三者の相互の関係を柳がどのように見ているか、いくつかの項目について比較してみたい。まず、彼らがそれぞれ最も重視する経典から。他力門としての浄土門は浄土三部経といわれる経典を重視している。浄土三部経とは、無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の三つの経をさすが、法然の浄土宗は観無量寿経を、親鸞の浄土真宗は無量寿経を、一遍の時宗は阿弥陀経をもっとも重視する、と柳は言う。

浄土教が日本で広まるようになったのは平安時代であり、空也とか源信とかいった人々が浄土信仰を広めたのであったが、まだまだ貴族層中心で庶民には浸透しなかった。浄土信仰を庶民の間に広く浸透させたのは法然である。法然はだから日本の浄土信仰の偉大な教祖である、というふうに柳は見ている。親鸞も法然の教えを受けることから出発したのだし、一遍もまた法然が基礎づけた浄土宗をもとに、それを高度なものに発展せしめた、というわけである。

法然の功績は、他力本願と専修念仏を信仰の中軸に据えたことだった。他力というのは、阿弥陀仏の本願によってどんな下根のものでも救われるようになっているという考えであり、その為に庶民のすべきことはただ念仏だけであると教えた。その教えによって、それまでは庶民に閉ざされていた救いの道が開かれたのである。法然はその教えを、主に観無量寿経によって基礎づけた。他力本願と専修念仏の教えは、無量寿経にも書かれているが、無量寿経には、悪逆な人間や法を貶めるものは救われないと書かれている。だが観無量寿経は、そういった限定を外して、誰でも救われるというふうに書いてある。そこで法然は、観無量寿経をもっとも重んじて、他力本願の教えを徹底し、誰でも念仏さえすれば救われると説いたのである。

親鸞は、無量寿経を教えの基礎とした。親鸞はそれを、法然とは違ったふうに読んだ。無量寿経には、「衆生至心に回向して、我が国(浄土)に生まれんと願ずれば」という言葉がある。法然はこれを素直に読んで、衆生が回向を願うと読んだが、親鸞はこれを「至心に回向し給へり」と読んだ。すなわち阿弥陀仏が我々人間に対して回向することで、人間は自力によらず、阿弥陀仏によって救われるというふうに教えたのである。つまり、他力を一段と深めたわけである。

一遍は阿弥陀経をもっとも重んじたが、阿弥陀経には無量寿経にあるような理屈は書かれていない。極楽浄土のすばらしさをたたえているばかりである。一遍は念仏を唱え続けることによって、そのようにすばらしい浄土に生れることができるといって、庶民を教化したのである。

以上、浄土三部経のそれぞれに関連付けながら、法然、親鸞、一遍それぞれの特徴を抑えたうえで、柳はさらに突き込んで、これら三者の比較を行っている。まず念仏について。これについては、次のように定式化している。
  法然上人はいう、仏を念ぜよ、さらば仏は必ず人を念じ給うと
  親鸞上人はいう、たとえ人が仏を念ぜずとも、仏が人を念じ給わぬ時はないと
  だが一遍上人はいう、仏も人もなく、念仏自らの念仏であると
法然は人が念仏すれば仏がそれに必ず応えてくれると言い、親鸞は念仏せずとも仏は人を救ってくださると言い、一遍は人と仏の区別なく念仏そのものがこの世を救うと言っているわけだ。この簡単な比較を通じて柳は、法然における信仰、親鸞における他力、一遍における念仏の意味を、それぞれ強調する形で明示しているのである。

次いで念仏の回数。法然は他念といって、生涯念仏を称え続けよと言った。それに対して親鸞は一念といって、一度の念仏で人は往生できるといった、ではそれ以後の念仏には意味がないのか、いや意味はある、それは往生できたことの感謝の意として意味があるのだと親鸞は言う。この二者に対して一遍は、一念がすなわち他念で、他念がすなわち一念であると言った。ちょっとわかりづらいが、要するに念仏を称えるごとに往生できるという意味か。

念仏を通じての、仏と人の関係を、柳は次のように言い換える。
  法然上人は言う、人が仏を念ずれば、仏もまた人を念じ給う
  親鸞上人は言う、人が仏を念ぜずとも、仏は人を念じ給う
  しかるに一遍上人は言う、それは仏が仏を念じているのであると
これは回向との関連で言われていることだ。回向はもともと人から仏に対してなされるものだったが(法然)、親鸞はそれを逆転させて仏から人へ向かってなされるものだと言った。しかし一遍は、仏が仏に向かってなされるものだと言って、そこに人の介在する余地を認めないようなのである。

浄土信仰にはもともと来迎の思想があった。これは人が往生するときに、阿弥陀如来が眷属を伴って来迎しに来てくれるという信仰で、法然もこの考えを受け継いだ。この考えにあっては、往生とか来迎といったものは、人の死に伴って起こる。ところが親鸞はこの来迎という思想を捨てた。というのも、人の往生は死に際して起こるのではなく、念仏を通じて生きている間にも起こる、というふうに変えたからである。これを平生業成という。一遍に至っては、人間は念仏のたびに往生するが、その場合に、往生するたびに来迎があると説く。法然と親鸞の教えを足して二で割ったと言えよう。

往生についての三者の見方を、柳は次のように定式化する。
  法然上人は教える。口に名号を称えよ。汝の往生は契られていると。
  親鸞上人は言う。本願を信ぜよ。その時往生は決定されるのだからと。
  一遍上人は更に説く。既に南無阿弥陀仏に往生が成就されているのであると。人の如何に左右されるのではない。
こうして見ると一遍の教えは、この世はすでに極楽浄土だと言っているように聞こえる。

法然、親鸞、一遍にはそれぞれ人間的な特徴があった。柳はその特徴を、僧と非僧と捨聖という言葉でそれぞれあらわしている。法然は僧として多数の弟子を抱え、戒律を守り、厳格な生活をした。親鸞は弟子を持たず、妻帯して、在俗の生活をした。一遍は乞食のような姿で、全国を放浪し、人々に念仏を勧めながら歩いた。三者それぞれの生き方の相違が、彼らの始めた宗派の教義にも反映しているのだと、柳は言いたいようである。


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