日本語と日本文化


蛇性の婬(九):雨月物語


 かくて閨房を免れ出て庄司にむかひ、かうかうの恐しき事あなり、これいかにして放<さけ>なん、よく計り玉へといふも、背にや聞くらんと聲を小やかにしてかたる。庄司も妻も面を青くして歎きまどひ、こはいかにすべき、こゝに都の鞍馬寺の僧の、年々熊野に詣づるが、きのふより此の向岳の蘭若<てら>に宿りたり。いとも驗なる法師にて凡そ疫病、妖災、蝗などをもよく祈るよしにて、此の郷の人は貴みあへり。此の法師請へてんとて、あはたゝしく呼びつげるに、漸して來りぬ。しかしかのよしを語れば、此の法師鼻を高くして、これらの蠱物らを捉んは何の難き事にもあらじ。必靜まりおはせとやすげにいふに、人々心落ちゐぬ。

 法師まづ雄黄をもとめて藥の水を調じ、小瓶に堪へて、かの閨房にむかふ。人々驚ぢ隱るゝを、法師嘲わらひて、老いたるも童も必ずそこにおはせ。此のをろち只今捉りて見せ奉らんとてすゝみゆく。閨房の戸あくるを遲しと、かの蛇頭をさし出して法師にむかふ。此の頭何ばかりの物ぞ。此の戸口に充ち滿ちて、雪を積りたるよりも白く輝々しく、眼は鏡の如く、角は枯木の如し。三尺餘りの口を開き、紅の舌を吐いて、只一呑に飮むらん勢ひをなす。あなやと叫びて、手にすゑし小瓶をもそこに打ちすてゝ、たつ足もなく、展轉<こいまろ>びはひ倒れて、からうじてのがれ來り、人々にむかひ、あな恐し、祟ります御神にてましますものを、など法師らが祈り奉らん。此の手足なくば、はた命失なひてんといふいふ絶え入りぬ。人々扶け起すれど、すべて面も肌も黒く赤く染めなしたるが如くに、あつき事焚火に手さすらんにひとし。毒気にあたりたると見えて、後は只眼のみはたらきて物いひたげなれど、聲さへなさでぞある。水潅ぎなどすれど、つひに死にける。これを見る人いよゝ魂も身に添はぬ思ひして泣き惑ふ。

 豐雄すこし心を収めて、かく驗なる法師だも祈り得ず。しふねく我を纒ふものから、天地のあひだにあらんかぎりは探し得られなん。おのが命ひとつに人々を苦しむるは実ならず。今は人をもかたらはじ。やすくおぼせとて閨房にゆくを、庄司の人々こは物に狂ひ玉ふかといへど、更に聞ず顏にかしこにゆく。戸を靜かに明くれば、物の騷がしき音もなくて、此の二人ぞむかひゐたる。富子豐雄にむかひて、君何の讐に我を捉へんとて人をかたらひ玉ふ。此の後も仇をもて報ひ玉はゞ、君が御身のみにあらじ。此の郷の人々をもすべて苦しきめ見せなん。ひたすら吾が貞操をうれしとおぼして、徒々しき御心をなおぼしそと、いとけさうじていふぞうたてかりき。


(現代語訳)
こうして朝になり、豊雄は閨を逃れ出ると、庄司に向かって、「こんな恐ろしいことがありました。これをどうして逃れたらよいでしょうか、ご思案ください」と言いつつも、背後で聞いているかもと、声を小さくして語った。庄司も妻も顔を青くして嘆き惑い、「これはどうしたものか、ここに都の鞍馬寺の僧が毎年熊野詣でをなさっていて、今年も昨日からこの向こう側の山寺に泊っていなさる。たいそう効験あらたかな法師で、疫病、妖災、蝗などの災いを祈祷するといい、この郷のものはみな尊敬している。この法師にお願いしよう」と言った。あわただしく呼びにやったところ、しばらくして来た。しかじかの由を語ると、この法師は鼻を高くして、「こういう虫を退治するのはいとも簡単じゃ、ご安心なされ」と言ったので、みなほっとしたのだった。

法師はまづ雄黄を求めて薬水を調合し、それを小瓶に入れてかの閨に向かった。人々が恐れ隠れるのを法師は笑い、「年寄りも子どもも必ずそこにいなさい。この蛇をすぐ退治してご覧にかけよう」と言いつつ進んでゆく。閨の戸を開けるが早いか、かの蛇が頭を差し出して法師に向かう。その頭はどれほどの大きさだったか。この戸口を塞ぐようにして、雪の積もったよりも白く輝き、目は鏡の如く、角は枯木のようである。三尺あまりの口を開き、赤い舌を吐いて、法師を一口で飲もうとする。法師は、ああ、と叫んで、手に持った小瓶をそこに打ち捨て、立つこともできず、転び倒れて、かろうじてその場を逃れ、人々に向かい、「ああ恐ろしい。こんな祟り神を、なんで法師如きが調伏できよう。この手足がなかったら、命を失っていたところじゃ」、とほうほうの体で言うと、気絶してしまった。人々が助け起こそうとしたが、顔も肌も黒く赤く染めたようで、その熱いことは焚き火に手をかざしたようである。蛇の毒気にあたったとみえて、ただ目ばかり動いて、なにか言いたげではあるが、声が出ないのだった。人々は水を注いだりしたが、ついに死んでしまった。これを見た人はいよいよびっくりして、心が身から離れたように感じ、啼き惑ったのだった。

豊雄は心をやや落ち着けて、「こんな効験あらたかな法師でさえ調伏できなかった。しつこく自分にまといつくのだから、この世にある間はどこにいても探しだされてしまうだろう。自分の命ひとつのために人々を苦しめるのは本意ではない。いまは誰にも相談するまい。だからみな安心しなさい」と言いながら閨に行った。庄司のものは、ものに狂ったかと声をかけたが、豊雄は聞こえないふりをして閨に行った。そして戸を静かに開けると、騒がしい音もせず、富子(真女児)とまろやがこちらを向いて座っていた。富子は豊雄に向かって、「旦那様は何のためにわたしを捉えようとして人々に語らうのですか。今後もこんなことをなさるのなら、旦那様の身のみならず、この郷の人々すべてに苦しい目を見せましょう。ひたすらわたしの貞操をうれしいと思って、浮気な心を起こさないでください」とたいそう興奮して言うのだった。それが気味悪かった。


(解説)
豊雄はじめ真女児の出現に驚いた人々は、たまたま近くの寺に滞在していた鞍馬寺の僧にたのんで、妖怪を調伏してもらおうとする。僧侶が求めに応じて、薬を調合したうえで妖怪を調伏しに向かったところ、かえって妖怪に祟られて、命を落としてしまう有様。それを見た豊雄は、自分のために皆に迷惑が及ぶのは忍びないと思い、真女児とよりを戻すために彼女のもとに向かう。そんな豊雄を前に、真女児が恨み言を言う。

真女児の考えでは、自分はただ豊雄と平穏な生活をしたいだけだ。それなのに、豊雄のほうでは、そんな自分を理不尽に虐待した。それだけではなく、自分の愛を踏みにじって他の女に心を移した。それは女として耐えられることではない。そういう真女児の言葉には嫉妬の感情が潜んでいる。

だが、真女児がそういうのは、彼女と豊雄とが同じ人間だということを前提にした虚構でしかない。真女児の本性は蛇なのであって、蛇と人間とは絶対結ばれることはない、そう秋成は言って、真女児の切ない気持を汲み取ってやることはない、真女児は所詮妖怪なのであり、妖怪は退治されねばならぬ、という考えが絶対的なものとしてある。その辺は、人獣間の結婚について寛容だった日本の古い説話の世界とは、かなり違った世界がここでは展開していると言えよう。




  
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