日本語と日本文化


蛇性の婬(七):雨月物語


 三月にもなりぬ。金忠豐雄夫婦にむかひて、都わたりには似るべうもあらねど、さすがに紀路にはまさりぬらんかし。名細<なぐはし>の吉野は春はいとよき所なり。三船の山菜摘み川常に見るとも飽かぬを、此の頃はいかにおもしろからん。いざ玉へ出で立ちなんといふ。眞女兒うち笑ひて、よき人のよしと見玉ひし所は、都の人も見ぬを恨みに聞こえ侍るを、我が身稚きより、人おほき所、或は道の長手をあゆみては、必気のぼりてくるしき病あれば、從駕<みとも>にえ出で立ち侍らぬぞいと憂たけれ、山土産必ず待ちこひ奉るといふを、そはあゆみなんこそ病も苦しからめ、車こそもたらね、いかにもいかにも土は踏ませまいらせじ。留まり玉はんは豐雄のいかばかり心もとなかりつらんとて、夫婦すゝめたつに、豐雄もかうたのもしくの玉ふを、道に倒るゝともいかでかはと聞ゆるに、不慮ながら出でたちぬ。人々花やぎて出でぬれど、眞女子が麗なるには似るべうもあらずぞ見えける。

 何某の院はかねて心よく聞えかはしければこゝに訪らふ。主の僧迎へて、此の春は遲く詣で玉ふことよ。花もなかばは散り過ぎて鴬の聲もやゝ流るめれど、猶よき方にしるべし侍らんとて、夕食いと清くして食はせける。明けゆく空いたう霞みたるも、晴れゆくまゝに見わたせば、此の院は高き所にて、こゝかしこ僧坊どもあらはに見おろさるゝ。山の鳥どもゝそこはかとなく囀りあひて、木草の花色々に咲きまじりたる。同じ山里ながら目さむるこゝちせらる。初詣には瀧ある方こそ見所はおほかめれとて、彼方にしるべの人乞ひて出でたつ。谷を繞りて下りゆく。いにしへ行幸の宮ありし所は、石はしる瀧つせのむせび流るゝに、ちいさきあゆどもの水に逆ふなど、目もあやにおもしろし。檜破子打ち散らして喰ひつゝあそぶ。

 岩がねづたひに來る人あり。髪は績麻をわがねたる如くなれど、手足いと健やかなる翁なり。此の瀧の下にあゆみ來る。人々を見てあやしげにまもりたるに、眞女子もまろやも此の人を背に見ぬふりなるを、翁、渠二人をよくまもりて、あやし、此の邪神、など人をまどはす。翁がまのあたりをかくても有るやとつぶやくを聞きて、此の二人忽ち躍りたちて、瀧に飛び入ると見しが、水は大虚に湧きあがりて見えずなるほどに、雲摺墨をうちこぼしたる如く、雨篠を乱してふり來る。翁人々の慌忙<あはて>惑ふをまつろへて人里にくだる。

 賎しき軒にかゞまりて生くるこゝちもせぬを、翁豐雄にむかひ、つらつらそこの面を見るに、此の隱神のために腦まされ玉ふが、吾救はずばつひに命をも失ひつべし。後よく愼み玉へといふ。豐雄地に額着きて、此の事の始よりかたり出でて、猶命得させ玉へとて、恐れみ敬まひて願ふ。翁さればこそ、此の邪神は年經たるおろちなり。かれが性は婬なる物にて、牛と孳<つる>みては麟を生み、馬とあひては龍馬を生むといへり。此魅<まど>はせつるも、はたそこの秀麗にたはけたると見えたり。かくまでしうねきをよく愼しみ玉はずば、おそらくは命を失ひ玉ふべしといふに、人々いよゝ恐れ惑ひつゝ、翁を崇まへて遠津神にこそと拝みあへり。翁打笑ひて、おのれは神にもあらず、大倭の神社に仕へまつる當麻の酒人といふ翁なり。道の程見たてゝまいらせん。いざ玉へとて出でたてば、人々後につきて歸り來る。


(現代語訳)
三月になった。金忠は豊雄夫婦に向かって、「都のあたりとは比べ物にならぬが、さすがに紀州よりはまさるだろう。春の吉野はたいそうよいところだ。三船の山といい菜摘川といい、何時見ても見飽きぬが、いまごろはさぞ素晴らしいだろう。さあ、行ってみよう」と言った。真女児が笑いながら、「よき人のよしとご覧になったところは、都のものも見ないではいられないと聞いていますが、私は小さい頃から、人の多いところや長い道のりを歩くと、のぼせて苦しむという病がありますので、お供できないのが残念です。お土産をお待ちしています」と言うと、「歩けば病が苦しいだろうが、車こそ持ってはおらぬが、どうにかして乗物に乗せ土を踏まずにすむようにしてやろう。お前があとに残ると、豊雄がさぞ気がかりだろう」と言って金忠夫婦ですすめるので、豊雄も、「こう親切に言ってくださるのだから、たとえ道で倒れることがあっても、行かずにはすむまい」と言う。そこで真女児はしぶしぶ出立した。人々は華やかに着飾って出かけたが、誰も真女児の美しさにはかなうべくもなかった。

吉野の何某の院は金忠とかねてから懇意にしていたので、ここを訪ねた。主の僧が迎えて、「今年は来るのが遅かったですね。花も半ば散って鶯の声がやや乱れて聞こえますが、まだよいところがありますのでご案内しましょう」と言ってさっぱりした夕食を食わせてくれた。明けゆく空はたいそう霞がかっているが、晴れゆく様子を見渡すと、この院は高いところにあって、ここかしこに僧坊が見下ろされる。山鳥もそこはかとなくさえずりあい、木や草の花が色とりどりに咲いている。同じ山里ながら目が覚める心地がする。初詣は滝のあるほうが見所が多いと、そちらのほうへ案内を請うて出立した。谷をめぐって降りてゆく。むかし行宮のあったところは、岩ばしる滝が流れ、そこに小さな鮎が水に逆らって泳ぎ、目も綾に面白い眺めだ。一同檜破子を広げて、食いながら遊んだのだった。

岩伝いに来る人がいる。髪は績麻を束ねたように白く乱雑だが、手足が丈夫な翁だ。一同がいた滝の下に歩いてきた。翁が人々を怪しげな様子で見守ると、真女児もまろやも翁に背を向けて見ぬふりをする。翁は二人をじっと見つめ、「あやしい、この邪神め、なぜ人を惑わすのじゃ。わしの目の前でそんなことができるものか」とつぶやいた。それを聞いた二人は、たちまち躍り上がり、滝の中に入ると見えたが、滝の水は大空に沸きあがって見えなくなってしまった。すると雲が墨をばらまいたように沸き出て、雨が篠を乱したように降り出した。翁は人々のあわて騒ぐのをなだめながら、里へ下った。

一軒のみすぼらしい家のところにきて、そこにかがみこんで生きた心地もしないでいると、翁は豊雄に向かって、「つらつらおぬしの顔を見ると、この悪神のために悩まされておるようじゃが、わしが救わなかったら、ついには命を失ったことだろう。今後よく慎みなさい」と言った。豊雄は地に額をついて、このことの始めから語り出し、命を助けてほしいと、恐れ敬いながら懇願した。翁は、「そうであったか、この悪神は年をとった蛇じゃ。その性は淫乱で、牛とつるんでは麟を生み、馬と交わっては竜馬を生むという。これがそなたを惑わせたのは、そなたの美貌に目がくらんだからじゃろう。かくまで執念深い相手に対して慎まないでいると、おそらく命を失うことになろう」と言う。人々はいよいよ恐れて、翁を崇めたたえ、遠津神として拝んだ。翁はうち笑って、「わしは神ではない。大倭神社に仕える當麻の酒人というものじゃ。道案内をしてやろう。さあついてきなさい」と言って出立する。人々は翁の後について帰ってきたのだった。


(解説)
豊雄と真女児のむつまじい仲はいきなり破綻する。それは、姉夫婦と一緒に行った吉野の山中で起きた。滝の下で一同が休んでいると、一人の翁がやってきて、真女児が蛇の妖怪だと見抜く。見抜かれた真女児とまろやは、たちまち踊りあがり、滝の水に飛び込んで消えてしまう。ここでも、水が大きな役割を果たしている。

それにしても、真女児がなぜかくも人間に忌避されるのか。この妖怪は淫乱で、牛とつるんでは麒麟を生んだり、馬と交わっては竜馬を生んだりする。こんなものを近づけていては、必ず死んでしまうに違いない、と言われているが、いままで真女児が豊雄に危害を加えたことはないし、いまでもその恐れはない。彼女はただ豊雄を愛する一念に捉われているだけなのだ。

吉野への行楽に誘われたときに、真女児は当初断るのだが、それはこのことを予想していたからだろう。彼女は危険を犯してまで、夫の希望に従ったのだが、それが仇となって、夫との仲を割かれてしまったのである。しかし、話はこれで終わらない。夫との仲を引き裂かれた真女児は、次の手を繰り出して、三度夫に近づいてくることとなる。




  
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