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大江山の酒呑童子:山の神と鬼



鬼の話の中でも、古来もっとも人口に膾炙したのは大江山の酒呑童子の話だろう。能の曲目にも取り上げられ、お伽草紙をはじめ民話の中にも類似の話は多い。それらの話のテーマになっているのは人を食う鬼であり、その鬼を源頼光のような英雄が退治するというのが大方に共通する筋書きである。

能の「大江山」では、丹後の大江山に住み着き、人を攫っては食うという鬼神を、源頼光とその従者50人が山伏姿となって山に踏み入り、退治するという筋書きになっている。そのクライマックスの部分を、謡曲は次のように描いている。

「頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみにいかで洩すべきと、走りかゝつてはつたと打つ手にむずと組んで、えいや/\と組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられ、鬼一口に食はんとするを、頼光下より刀を抜いて、二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を推しつけ怒れる首を出ち落し、大江の山を又踏み分けで、都へとこそ帰りけれ。」

「鬼一口に食はんとするを」の部分は、人を食う鬼の恐ろしさを表現したものであり、日本の民話に出てくる多くの鬼に共通する原イメージというべきものである。

このように山中ひそかに住み着き、人を襲ったり食ったりする鬼のイメージは、日本人にとってはなじみの深いものである。お伽草紙などの民話にも類似の話が多く出てくるし、現代においてさえ、鬼を主題にした漫画が好んで読まれているほどだ。時によって鬼は眷属を伴い、集団で鬼の踊りをしたりもする。また百鬼夜行といわれるような、妖怪集団のイメージを伴うこともある。

この鬼が果たしてどういう起源のものであるかについては、五来重などは宗教民俗学の視点から、山神の転化した形であろうと推測している。山の神は、鬼のほかにも天狗や山姥、場合によっては河童などの形をとることもあるが、いづれも日本人の山岳信仰と、その背後にある祖霊信仰に根を持っている。山は古来先祖の魂が去っていくところと思念されていたし、また先祖の霊がこの世に現れるときに、そこを通ってやってくるところであった。

その祖霊としての山神が、何故鬼の形をとって人を食うようにならなければならないのか。なかなか難しい問題だが、そこには古来悠然と流れてきた日本人の山に対する複雑な心性が作用している。

山は死者が葬られるところであったし、また場合によってはその中に踏み込んだ人間たちが忽然と姿を消していなくなることもあった。そんなところから、山は神聖なものであると同時に恐ろしいものでもあった。こんな両義的な感情が山の神に鬼のイメージを重ね合わせさせたのかもしれない。

ところで能ではその恐ろしい鬼が童子の形をとっている。説話の世界でも伊吹童子や茨木童子など、童形の鬼の話はほかにもある。大江山の鬼は酒呑童子という名だが、源頼光がその名の由来を尋ねると、鬼は「我が名を酒呑童子と云ふ事は、明暮酒をすきたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候」と答えている。

民話研究家の佐竹昭広はこの「しゅてんどうじ」とは「すてご(捨て子)童子」が転化したものだろうと推測しているが、いまその真偽を明らかにすることはできない。一方五来重は、童子を鬼の形に重ね合わせるのは、シャーマニズムの憑霊の儀式において、子どもが霊のヨリシロとなったことを反映しているのではないかと推測している。

酒呑童子は、今は大江山に住んでいるが、そもそもは比叡山にいたということを、能の中の鬼は語っている。

「われ比叡の山を重代の住家とし年月を送りしに、大師坊と云ふえせ人、嶺には根本中堂を建て、麓に七社の霊神を斎し無念さに、一夜に三十余丈の楠となつて奇瑞を見せし処に、大師坊一首の歌に、阿縟多羅三貘三菩提の仏たち、我が立つ冥加あらせ給へとありしかば、仏たちも大師坊にかたらはされ、出でよ/\と責め給へば、力なくして重代の比叡のお山を出でしなり。」

ここには、仏教伝来以前より比叡山には山の神がいて、それが伝教大使によって追い出されたということが語られている。比叡山の山の神は比叡山を追い出された後、筑紫の彦山、伯耆の大山、白山、立山、富士とさすらい歩いて、最後に大江山に住み着いたのだと語っている。

これは天狗ものにおいて、天狗たちがこもる山の名と共通するところがある。こうした山々は古来、日本人にとって山岳信仰の拠点とされてきたところである。そこには日本民族にとって悠久の昔から山の神が住み着いていた。だがそれらは仏教の伝来によって、山の主人としての地位を追われた。追われた山の神の中には、仏の眷属となって生き延びるものもいたであろうが、大江山の酒呑童子のように叛旗を翻すものもあったのだろう。

こうしてみると、大江山の酒呑童子の伝説は、比叡山の山の神の記憶と遠く結びついていることがわかる。

西洋の伝説に出てくる魔女や魔法使いは、もともとヨーロッパ土着の土地の神が、キリスト教の伝来によって異教の魔物とされたことにそのルーツを有しているとされる。文化の衝突によって、古いものが新しいものの視点から位置づけなおされた例である。酒呑童子の伝説においては、それと同じようなことが、日本固有の山の神と、仏教の教えとの間に生じたのであろう。

(参考)
・ 五来重「鬼むかし」
・ 佐竹昭広「酒呑童子異聞」



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