日本語と日本文化


西行の同性愛:西行を読む


西行には、同性愛を疑わせる歌がある。たとえば、 
  こととなく君恋ひわたる橋の上にあらそふ物は月の影のみ(山1157)
この歌には次のような詞書が付されている。「高野の奥の院の橋の上にて、月明かりければ、もろともにながめあかして、その頃西住上人、京へ出でにけり、その夜の月忘れがたくて、又同じ橋の月の頃、西住上人のもとへ言ひつかわしける」

高野山の奥の院にある橋を渡ったところ、月が明るいさまを見て、昔このような夜に西住上人とともにこの橋を渡ったことが思い出された。その気持ちを西住上人に伝えたくて、西住が住む京に向かう人に、わざわざ歌を言い伝えてもらったと言う。歌の意は、橋の上でなんとなくあなたのことが思い出される、そのあなたの面影を思い出せとばかりに月が明るく架かっています、というもので、月影に相手の面影を重ねている。この歌のつややかな調子からして、恋の歌ではないかと思わせられるのだが、その相手が西住という男の僧なので、この恋は同性愛と受け取れるのである。

この歌への相手西住の返歌は、
  思ひやる心は見えで橋の上にあらそひけりな月の影のみ(山1158)
わたしを思いやるとあなたは言いますが、わたしの心は見えないまでも、せめて私の面影を月の影に重ねて偲んでください、というもので、これもやはり恋の情を感じさせる。

西住は、出家前から西行と親しくしていた友人で、出家後も法名に「西」の字を共有するなど、ひとかたならず親しい間柄だった。彼との間で歌い交した歌が他にもある。それらを読むと、どうも西行はこの西住に同性愛を感じていたのではないかと思えてくるのである。

西行は結婚して子供までもうけていたから、純粋なゲイではなかったと思われるが、この時代には、白河上皇をはじめとして、異性愛と同性愛を使い分ける人が多く、しかも男同士の同性愛は院政時代に大流行したわけであるから、西行が異性愛と同性愛を使い分けたのも不自然ではない。

こういう視点から西行の歌を読むと、たとえば次の歌
  松が根の岩田の岸の夕涼み君があれなと思ほゆるかな(山1077)
これには次のような詞書が付されている。「夏、熊野へまかりけるに、岩田と申所に涼みて、下向しける人につけて、京へ西住上人のもとへつかはしける」

熊野へ一人で参詣したところ、岩田というところで西住を思い出し、その感慨を読んだ歌をわざわざ他人にことづけて贈ったといい、その歌の意は、ただただあなたが一緒にいたらどんなに素敵かと感じるばかりというもので、これはどう見ても恋慕の情を歌ったものだ。

また、次の歌、
  頼もしな雪を見るにぞ知られぬる積る思ひの降りにけりとは(山233)
これには次のような詞書が付されている。「醍醐に東安寺と申て、理性坊の法眼の房にまかりたりけるに、にはかに例ならぬことありて大事なりければ、同行に侍りける上人達まで来合ひたりけるに、雪の深く降りたりけるを見て、心に思ふことありてよみける」

同行にはべりける人とは西住をさす。その西住が、西行が訪問先で倒れて重態に陥ったと聞いてわざわざ逢いにやってきてくれた。その折に西行が読んだ歌がこの歌で、意味は、あなたがわざわざ来てくれて頼もしい、雪が降っているのはそのあなたの思いが形になったものでしょう、と言うものだ。これに対して西住は、
  さぞな君心の月を磨くにはかつがつ四方に雪ぞ敷きける(山234)
と返している。意味は、あなたの気持ちこそが雪となって現れたのだよ、というものである。

この歌とは逆に、西住が重病になったときに、西行が贈った歌もある。
  もろともにながめながめて秋の月ひとりにならんことぞかなしき(山778)
これは、あなたがこのまま病気で死んでしまうと、わたしだけがあとにひとり残されて悲しい思いをします、だから死なないでください、と歌ったもので、やはり西住への恋慕の情を歌ったものと受け取れる。

西行には、西住のほかに親しくしていたものがあり、その中では大原三寂といわれる三人兄弟が注目されるが、彼らとの間のことは、別途取り上げたいと思う。




  
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