日本語と日本文化


もみじ:西行を読む


もみじは秋におきる現象であるから、和歌の伝統においても秋と深く結びつけて歌われてきた。今日もみじといえば、楓の紅葉を代表として葉が赤く色づく紅葉が思い浮かぶが、万葉集の時代には、葉が黄色く色づく黄葉のほうが注目されたようだ。万葉集の歌の大部分は、この「黄葉」を歌っており、万葉仮名にも「もみじ」に「黄葉」という漢字を当てている。たとえば次の歌、
  秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも(万0208)
これは万葉仮名では、「秋山之黄葉乎茂迷流妹乎将求山道不知母」であり、もみじの部分に「黄葉」の字があてられている。

その理由として、万葉の時代には赤よりも黄色のほうが人々に愛され、したがってもみじも黄色く色づくものが愛されたとする説や、万葉の時代の西日本には楓の木があまり普及していなかったとする説などがあるが、はっきりしたことはわからない。とにかく万葉人にとってもみじといえば黄葉をさしていたことは間違いない。

古今集になると、黄色いもみじより赤い紅葉が多く歌われるようになる。もみじを紅葉と標記するのが普通となり、また紅葉の美しさを表現するときも、その燃えるような紅の色を強調する歌が出現する。たとえば、 
  ちはやぶる神代も聞かず竜田川韓紅に水くくるとは(古294在原業平)
  もみぢ葉の流れてとまるみなとには紅ふかき波やたつらむ(古293素性法師)
一首目は竜田川の水が紅葉で赤く染まっているところを感嘆した歌だし、二首目は水に浮かぶ紅葉が赤い波のように見えると歌ったもので、どちらとももみじの色の赤い鮮やかさを捉えたものだ。

これは日本人の美意識の変化を反映しているのだろうと思われるが、それをうながした事情がどのようなものであったか、詳しくはわからない。黄色を偏愛した中国文化の影響が万葉集の時代には大きかったのに対して、平安時代になると日本人本来の色彩感覚としての赤を重んずる気風が前面に出てきたということだろうか。

西行はもみじをどう歌ったか。山家集の秋の部には紅葉を直接歌った歌が十首ばかりある。それらはみなもみじを紅葉と書き、その風情を赤く染めた錦のようだと歌っている。西行は、春の桜を歌うときは、桜の花を見た感動を事後的に歌う場合が多いが、秋の紅葉を歌うときには、葉が染まるのを待ちわびるといった歌い方をする。たとえば、 
  いつよりかもみじの色は染むべきとしぐれに曇る空に問はばや(山472)
  もみじ葉の散らでしぐれの日数経ばいかばかりなる色にはあらまし(山479)
一首目は、何時になったら葉が赤く染まるのだと待ちわびる気持を歌ったもので、二首目は、どれくらいしぐれにうたれたらもみじがあざやかに色づくだろうかと歌ったものだ。どちらも葉の染まるのを待ち望む気持を込めている。

一方、色づいたもみじがいつまでも散らないでいて欲しいと歌った歌もある。  
  暮れ果つる秋の形見にしばし見んもみじ散らすなこがらしの風(山488)
桜が散ることについては諦念のようなものを感じていた西行が、もみじについては、散ることにかなりなこだわりを見せている。

ところで西行の時代には、京の紅葉の名所は小倉山だったようだ。小倉山のもみじは色々な人が歌っているが、西行も次の歌を残している。
  小倉山ふもとに秋の色はあれや梢の錦風に裁たれて(山485)
もみじという言葉は使っていないが、色づいたもみじの葉が風に煽られて散るさまを歌っている。

なお小倉山のもみじを歌った歌は百人一首にも取り入れられている、
  小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ
これは定信公の歌だが、小倉山の紅葉があまりにも鮮やかなので、是非帝にもご覧戴きたい、だから帝がおいでになるまで散らないでいて欲しいと歌ったものだ。小倉山のもみじは、天皇も行幸するほど高く評価されていたようである。




  
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