日本語と日本文化


説経の節回し(哀れみて傷る)


説経がどのような節回しを以て語られていたか、説経の伝統を継ぐ者のいない今日においては、詳しく知るすべがない。謡曲や浄瑠璃など、今日においても演者が存在する芸能のうち、説経と接点を有するものを手がかりに、その実態にせまる試みがあってもよさそうであるが、いまのところそのような業績もないようなので、筆者のような門外漢には、はたと判らずじまいなのである。

しかし、今日に伝わる説経の台本の中には、語り方に関する記号を付したものがあって、それを手がかりにして、些細ながら、語り方の一端にせまことができるのではないか。そんなことに思い当たって、しばらく無謀な推論を展開してみようと思った次第である。

正保5年(1648)、佐渡七太夫正本として刊行された「しんとく丸」には、「ことば」や「ふし」といった節付けをあらわすと見られる記号が、比較的丹念に付されている。その種類には、ほかに、「ふしくどき」、「つめ」、「ふしつめ」などがあり、「きり」という記号を付した本も見当たる。

本を眺め渡してみると、おおむね「ことば」と「ふし」とが交互に並び、その間に「くどき」や「つめ」が要所要所を締めるようにして入れられている。「ことば」は話すようにして語られた部分で、「ふし」は文字とおり節をつけて歌うように語られたのだろう。「くどき」は感情の高まりを示すように、くどいように語られ、「つめ」は場面の展開に区切りをつけるために、激越な表現で語られたと思われる。

ことばと節を基調に、時に激越な表現をまじえることにおいては、謡曲の表現様式に近いといえる。しかし、謡曲は笛や鼓、太鼓を伴奏にして、音楽的な要素に富み、節回しも繊細で、表情に富んだものであるが、説経の場合には、あくまで「ことば」で語る部分が中心で、音楽的な要素は弱かったと思われる。そもそも、ささらを唯一の楽器として伴奏していたのであるから、謡曲とは比較すべくもないのかもしれない。

18世紀はじめ頃の説経の語り方について、太宰春台が次のように書いている。

「其の声も只悲しきのみなれば、婦女これを聞きては、そぞろに涙を流して泣くばかりなり、浄瑠璃の如く淫声にはあらず、三線ありてよりこのかたは、三線をあはする故に、鉦鼓を打つよりも、少しうきたつようなれども、甚だしき淫声にはあらず、云はば哀れみて傷るといふ声なり、浄瑠璃に比ぶれば少しまされる方ならん」

哀れみて傷(やぶ)るとは、どんな声をいうのであろうか。想像するのはむつかしいが、おそらく単調な歌い方の中に、力のこもったものがあり、それが聞くものに、静かな、時には激しい感動を呼び起こさせたのであろうか。

徳川時代も中期にさしかかったこの時期、説経も浄瑠璃と同じように三味線を使うようになっていた。それでも春台は、説経の語り方は古体を残し、浄瑠璃のごとき淫声にあらずといっている。淫声とは、人の意表を突くような歌い方をさしていうのであろう。それに比べ、説経は話者も原則として一人であり、音曲に流されることなく、語りとしての伝統を守り続けたのだと思われる。

語りは、日本の芸能の中でももっとも民衆の感性に根ざし、それ故、いつまでも人の心をとらえる力を持っていた。だが、時代が移るにつれ、芸能にも音楽的な要素を始めとして新しい風が吹くようになる。説経は、この動きに対応することなく、何時までも古体にこだわり続けた。そのことによって、ついには、民衆に飽きられるに至ったのであろう。


    


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