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オホハツセワカタケル(雄略天皇)の権力闘争


日本の古代史を彩るものとして、天皇の地位をめぐる血みどろの権力闘争がある。記紀の作成を命じたとされる天武天皇自身も、骨肉の争いに勝利して天皇位についたのだ。そんな骨肉の権力闘争を勝ち抜いた先駆者として、雄略天皇があげられる。オホハツセワカタケルと呼ばれたこの天皇は、二人の兄と、前の天皇の継子、そして従兄弟など、自分にとって脅威になりそうな人間を次々と殺すことによって、権力を獲得したのである。そんなことから雄略天皇は、悪逆の王としての側面も指摘される。

古事記によればオホハツセは、まだ少年だった時に二人の兄を殺したということになっている。きっかけは、自分の兄でもある安康天皇が継子のマヨワに殺されたと知ったことだった。オホハツセはまず、兄のクロヒコのもとに行って、復讐をするように進言したが、クロヒコはのほほんとして、驚きもしなかった。そこでオオハツセは「ひとつには天皇にまし、ひとつには兄弟にますを、何か恃む心もなくて、その兄を殺せしことを聞きて、驚かずて怠(おほろか)なる」といって、クロヒコの襟をつかみ、刀を抜いて切り殺してしまった。

オホハツセは次いで、別の兄シロヒコのもとに行ったが、シロヒコもまた、クロヒコ同様であったので、襟をつかんで小治田まで引き立ててゆき、穴を掘って生き埋めにしてしまった。シロヒコは二つの目玉が飛び出て、死んでしまったのである。

これらのきっかけとなった、継子による天皇殺害には、隠れた物語があった。安康天皇(アナホ)は、自分の姉であるナガタノオホイラツメを妻にしたのであったが、それは姉の夫であるハタビノオホイラツコを殺してのことであった。ある日安康天皇は、妃オホイラツメの子マヨワ(目弱王)が近くにいることを知らずに、妃に向かって、もしも自分がマヨワの父親を殺したことが知れたら、マヨワはわしを殺そうとするだろうか、と話した。

それを聞きつけたマヨワは、天皇が寝ているところに忍び入り、傍らの太刀を取ると、天皇の首を切って、ツブラノオホミの館に逃げ込んだのであった。

二人の兄を殺した後、オホハツセは軍隊を整えてツブラノオホミの館を取り囲んだ。オホハツセはかねてから、ツブラノオホミの娘カラヒメに懸想していた。そこでオホハツセはツブラノオホミに向かって、「わたしの恋しい人は、館の中に居ますか」と尋ねた。するとツブラノオホミは、武装を解いた姿で現れ、八たび礼拝した後に言った。「カラヒメは、屯倉を添えて差し上げましょう。しかし王子を差し出すわけにはいきませぬ。そのわけは、"往古より今時に至るまで、臣連の王の宮に隠るることは聞けど、未だ王子の臣の家に隠りまししを聞かず。ここをもちて思ふに、賤しき奴オホミは、力を尽くして戦ふとも、更に勝つべきこと無けむ。然れども己を恃みて、隋(やっこ)の家に入りましし王子は、死にても棄てじ"」

オホミはこういって戦ったが、ついに力極まり矢も尽きた。そこで王子に、どうしたものかと尋ねたところが、「然らば更にせんすべなし。今は吾を死せよ」との答えがあったので、オホミは王子を切り殺し、自分の首を切って死んだのだった。

この物語は、前半ではマヨワによる父親の復讐劇がテーマとなり、後半では臣下であるオホミの忠誠ぶりがテーマとなっている。その忠誠には、当時ようやく浸透しつつあった儒教的な考え方が反映しているのかもしれないが、それ以上に、滅びゆく者に対する、日本人特有の同情の念が反映しているとも考えられる。こうした同情心は後に、判官びいきの心情につながっていくものだが、古事記の中でも、類似の心情を伺わせるような話が、ほかにいくつもある。(ヤマトタケルへの同情的な見方はその典型)

マヨワは目弱王と表記されていることから、もしかしたら盲目の少年であったかもしれない。その少年が、ふとしたことから、自分の父親の死の真相を知る。こともあろうに、現王が自分の母親と組んで自分の父親を殺したというのだ。そんなところは、ハムレットの物語を連想させて、なかなか面白い。ハムレットでは、母親もともに死んでいくが、この物語では、母親のことについては触れられていない。マヨワは復讐を果たした後臣下のもとに身を隠し、最後には天皇の弟によって責められ、ついには滅びてしまうのである。

マヨワを亡ぼした後、オホハツセにはライバルとなる兄弟は一人もいなくなったわけだが、一人だけ従兄弟が残っていた。後に顕宗、仁賢両天皇となるヲケ、オケ兄弟の父親イチノヘノオシハである。オシハを殺す場面を、古事記は次のように描いている。

有る時、オシハはオホハツセらとともにイノシシ狩りに繰り出したが、生来の気軽な性格から、オホハツセにタメグチを吐くようなことをした。それを逆手に取ったオホハツセは、弓矢を衣の中に隠して馬を馳せらせながら、オシハの馬に並ぶと、いきなり弓矢を取り出してオシハを射殺してしまったのである。更に残忍なことには、オシハの身を切り刻んで、馬の飼い葉桶に詰め、土中に埋めてしまったとある。

そのいきさつを聞いたヲケ、オケの兄弟は、自分たちに難が降りかかってくることを恐れて、播磨の国に逃れた。そこで馬飼い、牛飼いとなって世を過ごし、やがてオホハツセの死んだあとで身分を証し、晴れて皇位に就くわけである。



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