日本語と日本文化


オケとヲケ:日本版シンデレラボーイ


雄略天皇の迫害を逃れたオケ(意祇)とヲケ(袁祇)の兄弟は、播磨の国で馬飼いと牛飼いになって身を隠していたが、やがて雄略天皇が死んだ後で、表舞台に踊り出すチャンスがやってくる。雄略天皇の跡を継いだ清寧天皇には子どもがなく、またほかに日嗣の皇子がいなかったので、オケとヲケの兄弟が、皇位に最も近い地位に立ったからだ。

二人が脚光を浴びるようになったきっかけは偶然のものだった。ある日播磨の国司がシジムの新築祝いの宴に招かれたが、その時にシジムの家にいたオケとヲケが、祝福の舞をするように命じられた。二人は互いに譲り合っていたが、ついに兄のオケが舞い、ついで弟のヲケが舞った。ヲケは舞うときに詠(ながめごと)をした。その詠に一句には、自分たちがイチノベノオシハの子どもだという言葉があった。

それを聞いた国司は、二人が日嗣の皇子にあたる身分であることに思い至り、すぐさま朝廷に連絡した。朝廷では、イチノベノオシハの妹君で二人の兄弟の叔母にあたるイヒトヨ(飯豊)が、暫定的に皇位についていたのだったが、甥たちが無事に生きていたことがわかると、彼らに皇位を継がせることにした。まずどちらが皇位につくかが問題となったが、詠をして自分たちの身分を知らしめた弟のヲケが先に皇位につくことになった。

このふたりの物語は、迫害を逃れて身を庶民の間に埋め、困苦に堪えながら生きた末に、尊い身分への劇的な復活をとげるという構図になっている。それ故、広い意味での貴種流離譚といえるが、復活して貴い身分に這い上がるという点では、西洋のシンデレラ物語と共通するところがある。彼らは日本版のシンデレラボーイといってもよい。

この日本版シンデレラボーイが、潜伏中に馴染んでいた生活は、詠をしたり舞を舞ったなどという記事からして、芸能者との関連を感じさせる。

復活後、彼等が最初に行ったことは、まず父親の遺体を見つけ出してあつく弔うことと、ささやかな復讐をすることだった。父親の遺体については、近江の賤しい身分の老人がありかを申し出てくれた。彼らは父親の骨を手厚く埋葬したうえで、その老人を厚遇してやった。

ささやかな復讐とは食い物にかかわることだった。彼らは逃げる途中、山城の猪飼いの男に食料を奪われたことがあったが、その老人を見つけ出すと、飛鳥川の河原で切り殺し、その一族の者の膝の筋をことごとく断ったのである。

食い物の恨みを晴らすにしては、余りにも残酷だというほかはないが、しかしそうした残酷さが、一方では非道に対する当然の応報という側面を持っていたことも争えない。後々の説経節に至るまで、日本人はこのような残酷な復讐話を好んで聞いたものなのである。

ヲケ(顕宗天皇)とオケ(仁賢天皇)のあとは、オケの子ヲハツセノワカサザキ(武烈天皇)が継いだ。武烈天皇は、応神天皇から続いてきた難波王朝最後の天皇である。その死後は、継体天皇が即位するが、継体天皇は今日につながる王朝の始祖となった。

武烈天皇については、古事記は殆ど触れることがないが、日本書紀はなぜか、その悪逆無道ぶりを執拗に記している。それをここに転記しておこう。

・頻りに諸悪を造したまひて、一善を修めたまはず。凡諸の酷刑、親ら覧そなはざること無く、国内の居人咸に皆震ひ恐る
・孕婦の腹を裂きて、其の胎を観たまふ
・人の指甲を解きて芋を掘らしむ
・人の頭の髪を抜きて樹の顛に昇らしめ、樹の本を切り倒して、昇りし者を落し殺し、快としたまふ
・人をしてイケアヒに伏せ入れ、外に流し出して、三刃の矛を持ちて刺殺すことを快と為す
・人をして樹に昇らしめ、弓を以て射墜して咲ふ
・衣温にして百姓の寒ゆることを忘れ、食美くして天下の飢ゆることを忘れたまふ

滅亡寸前の王統に残虐な王が出現する例は中国にも多数あるが、日本も例外ではないということか。というのも、武烈天皇が残虐の限りを尽くして死んだ後、継体天皇が新しい王朝の創始者として登場するわけであるが、その新しい王朝の登場が待ち望まれていたことのひとつの証左として武烈天皇の悪逆が利用されているフシがある。

古事記ではなく、日本書紀のみが武烈天皇の悪逆を強調しているのは、律令体制の合理化としての性格を持つ日本書紀の、政治的な側面を反映しているのだと考えることもできる。




  
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