日本語と日本文化


オホサザキ(仁徳天皇)の求婚物語


古事記の下巻は仁徳天皇から始まる。中巻に出てくる諸天皇がなかば神話的な雰囲気を漂わせていたのに対して、仁徳天皇以下の諸天皇には、そうした神話的な雰囲気は乏しい。あくまでも人間的なのである。

仁徳天皇は統治の仕方においても、求婚物語においても、実に人間的である。人間的であり過ぎるあまり、時には滑稽でさえある。そんな滑稽さに満ちた求婚譚として、腹違いの妹メドリ(女鳥)とのやりとりが古事記に記されている。

オホサザキ(大雀命=仁徳天皇)は、腹違いの妹メドリに懸想し、腹違いの弟ハヤブサワケ(速総別王)を媒酌に立てて求愛した。するとメドリは、「皇后の嫉妬が激しすぎて、八田若郎女オホサザキの関係も台無しになりました。そんな人の妻になるのはごめんです」と答えたうえで、「わたしはあなたの妻になりたい」といった。

そんなわけで、ハヤブサワケガが復命しないので、天皇みずからメドリのもとに赴くと、おりから機織りをしていたメドリに向かって、「女鳥の 我が王の 織ろす機 誰が料(たね)ろかも」と歌った。

するとメドリが、「高行くや 速総別の 御襲料(みおすひかね)」と歌いかえしたので、天皇はメドリがハヤブサワケと結ばれたと察し、そのまま引き上げた。

そのメドリがハヤブサワケに、「雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 鷦鷯(さざき)取らさね」と歌いかけた。そのことを知ったオホサザキは激怒し、軍を起こして二人を殺そうとした。

そこで、メドリとハヤブサワケは手に手を取って逃げ、倉椅山に登ったのだったが、山上でハヤブサワケは歌を二首歌った。
 梯立ての 倉椅山を 険しみと 岩かきかねて 我が手取らすも
 梯立ての 倉椅山は 険しけど 妹と登れば 険しくもあらず

しかし二人は結局、宇田まできたところで殺されてしまうのである。

全体が歌物語の体裁をとっているこの物語の中で、主役はメドリであり、オホサザキはどちらかと言うと道化的な役柄に甘んじている。メドリが、隼であるハヤブサワケに、ミソサザイであるオホサザキをやっつけてしまいなさいといっているように、オホサザキにはいいところがない。

この部分は恐らく、芸能者たちが鳥の仮面をかぶって、身振り手振りを交えながら演じたとも考えられる。古代の芸能が古事記の中に取り入れられたのではないかとの推測は、ホムダワケの蟹の歌と相通じる。

オホサザキがメドリの心をつかめなかった理由は、本文の中にもあるとおり、皇后の嫉妬のすさまじさだったとされていた。実際皇后は、天皇の求婚話を片っ端から邪魔する始末の悪い女性として描かれている。

しかし、オホサザキには、良いところもあった。その良いところが政治向けに発揮されたところから、オホサザキは善政、仁政、有徳と言ったイメージと結びつき、後に仁徳天皇という諡号を獲得するわけである。

仁徳天皇が聖帝と称されるようになった決定的な要因は、人民の生活への深い配慮であった。その配慮を示す例として、三年にわたる課役の免除があげられる。その話は、仁徳天皇の条の最初の部分で語られている。

「ここに天皇、高山に登りて、四方の国を見たまひて詔りたまひしく。国の中に煙発たず、国皆貧窮(まづ)し。故、今より三年に至るまで、悉に人民(たみ)の課(みつぎ)、役(えだち)を除(ゆる)せ、とのりたまひき。ここをもちて大殿破れ毀れて、悉に雨漏れども、都(かつ)て修め理(つく)ることなく、器(うつはもの)をもちてその漏る雨を受けて、漏らざる処に遷り避けましき。後に国の中を見たまへば、国に煙満てり。故、人民富めりと為(おも)ほして、今はと課、役を科(おは)せたまひき。ここをもちて百姓栄えて、役使(えだち)に苦しまざりき。故、その御代を称えて、聖帝(ひじりのみかど)の世といふなり」

このほか、洪水を防ぐために茨田の堤を作ったこと、灌漑用水として和邇の池や依網の池を築造したこと、運河や港湾設備として難波の堀江などを掘削したことなど、善政の鑑とされるような事績が記されている。中国の建国神話に出てくる聖人たちを思わせるようなイメージが、仁徳天皇の上にかぶせらているわけである。こうした点でも仁徳天皇は、神話的なイメージから解き放された人間的な天皇として描き出されているわけである。




  
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