日本語と日本文化


古事記における性的表現(日本神話のセクソロジー)


古事記には、男女の性交や女性器への言及など、性的な表現があちこちに散りばめられている。特に神代の場面に、頻出するのであるが、それらを読んでも淫猥な感じは受けず、むしろほほえましいとの印象を抱く。これは、古代の日本人が、性というものに対して、大らかであったことの表れであるのかもしれない。

この古代日本人のセクソロジーともいうべきものを、まず、イザナギ、イザナミの国づくり神話からみてみよう。

―是に其の妹伊邪那美命に問ひて曰(の)りたまはく、「汝が身は如何にか成れる」とのりたまへば、答白(こた)へたまはく、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処在り」とこたへたまひき。爾(ここ)に伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。故(かれ)、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何」とのりたまへば、伊邪那美命、「然(しか)善けむ」と答曰へたまひき。爾に伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝と是の天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む」とのりたまひき。

なり余った処(男根)を以て、なりあわぬ処(女陰)を刺し塞ぐとは、いかにも単刀直入で、ユーモラスではないか。男がなり余った処をもてあまし、女がなりあわぬ所を刺し塞いで欲しいと感ずるのは、現代人も古代人も異ならないらしい。

なお、ここにある「まぐはひ」とは、文字通り「目をかわす」ことが原義である。そこから転じて、男女の性交にも用いられたとみられ、古代以降も長く用いられた.

天岩戸神話で活躍するアメノウズメもまた、エロチックに描かれている。

―天宇受売命、天の香山の天の日影を手次に繋けて、天の真拆をかづらと為て、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸にうけ伏せて蹈みとどろこし、神懸り為て、胸乳(むなち)を掛き出で裳緒(もすそ)をほとに忍(お)し垂れき。爾に高天原動みて八百万の神共に咲(わら)ひき。

ウズメのグロテスクななかにもユーモラスな仕草が目に浮かんでくるようだ。ウズメは天孫降臨の場面でも活躍しており、その折も胸をはだけ、陰部を露出しながら猿田彦に近づいたと、日本書紀にはある。

女性器をさしていう「ほと」という言葉は、様々なところで使われている。スサノオの乱暴によって、機女が「ほと」に杼を突き立てて死んだという話などは、隠微な部類に属するが、もっとも傑作なのは、神武天皇の皇后選定の条に出てくる話である。

―三島溝咋(みぞくひ)の女(むすめ)、名は勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)といふ、其の容姿麗美しくありき、故(かれ)、美和之大物主神、見感でて、其の美人の大便(くそ)まれる時、丹塗矢になりて、其の大便まれる溝より流れ下りて、其の美人の富登(ほと)を突きき、爾(ここ)に其の美人驚きて、立ち走り、いすすきき、乃ち其の矢を持ち来て、床の辺におけば、忽に麗しき壯夫になりて、即ち其の美人を娶りて生める子、名は富登多々良伊須々須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ)といひ、亦の名は比売多々良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」といふ

富登多々良伊須々須岐比売命(ほとたたらいすすききひめ)とは、「ほと」がもとで「あわてふためいた」という意味でもあろうか。何ともユーモアにとんだ挿話ではないか。

ところで、現代の関東地方では、女性器をさして、読者もよくご存知の四文字言葉を使う。筆者のような謹厳居士には、なかなか口にしがたいのであるが、この言葉は、古語にある「ほと」が転じてできたものなのである。

古代「ほ」は唇を用いて出す音であった。同じく唇音たる「ば」行の音や、「ま」行の音とは、相互に親縁の関係にある。こんな事情から、「ほと」が「「ほほ」となり、「ほほ」が「ぼぼ」となり、さらに「もも」、「めめ」、「めこ」などとなりゆくうちに、今日ある、あの四文字に落ち着いたのである。

(ちなみにいうと、西日本において、女性器をさしていう言葉には、平安時代に流行した「つび(開)」に由来するものが多い。)


    


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