日本語と日本文化


トリックスターとしてのスサノオ(素盞雄命)


日本神話におけるスサノオの姿は、一方で荒ぶる神として悪行を働くかと思えば、他方では八岐大蛇退治を始め善神としての側面も併せ有し、多義的で複雑な相に描かれている。そこで、スサノオの性格をめぐってさまざまな議論がなされてきた。本居宣長などは、スサノオの悪性はイザナギの禊祓いが不十分で、黄泉の穢れが残ったまま出生したことに原因があるとし、解除をきっかけに穢悪が除かれ、清浄に立ち返ったのだと解釈した。これは、善神としてのスサノオが本来の姿であり、荒ぶる神としてのスサノオは、不完全な姿だという議論である。

世界各地に伝わる説話の中にも、スサノオとよく似た複雑な人物像はいくらも出てくる。彼らは、おしなべていたずら者であり、悪意はないのに人々を混乱に陥れて怖がられる。彼らにおいては、善と悪、秩序と無秩序、創造と破壊とは、はっきりと対立したものではなく、相対的なものであって、矛盾なく共存しているのである。

文化人類学者たちは、このような人物像を「トリックスター」という概念で類型化している。トリックスターの例としては、アメリカ神話に出てくる悪賢いが憎めない動物たち、アフリカ神話の蜘蛛、ヨーロッパ説話の中のアルレッキーノやティル・オイゲンシュピーゲルなどがあげられるが、みなスサノオと同じような二義的な相の下に描かれ、秩序の撹乱者でありながら、文化創造英雄としての側面を併せ持たされている。

スサノオの所業も、こうしたトリックスターたちとの比較において捕らえなおしてみると、新しい相が浮かび上がってくる。ここでは、ギリシャ神話のトリックスター神ヘルメスを取り上げて、スサノオと比較してみよう。

ヘルメスはオリンポス12神の一人であるが、並外れた実在感がある。また商人、盗賊、雄弁さの守護神であり、旅人に幸運と富をもたらすとされるなど、人間にとってなじみの深い存在でもある。その姿も、翼のついた帽子とサンダルをはき、天空を自由自在に駆け回るなど、ピーターパンのような親しみやすさを感じさせる。

ヘルメスは生まれたその日にアポロンの牛50頭を盗み、そのうち2頭を平らげてしまった。怒ったアポロンが問いただすと、ヘルメスは食べた牛の腱で竪琴を作り、それをアポロンに差し出して許してもらった。大人になったヘルメスは美の女神アプロディテに恋をしたが、まったく相手にしてもらえなかったので、ゼウスの鷲に彼女のサンダルを盗ませた。困った彼女はヘルメスの願いを入れて、ヘルメスの子を生んだ。豊穣の神プリアモスと両性具有のヘルマプロディトスである。

ゼウスに愛されたイオは、嫉妬したヘラによって牝牛に変身させられてしまった。ヘルメスはゼウスの命でイオを助け出しに行くが、百目の怪獣アルゴスが見張っていて近づくことができない。アルゴスの目は、必ずどれかが覚めているからである。そこでヘルメスは笛の音でアルゴスの目をすべて眠らせ、その隙にアルゴスの首をはねてしまった。

このほか、ヘルメスには金毛羊とアルゴノートにまつわる話や、冥界との往来など様々な逸話がある。いづれにも、ヘルメスの持つ二義的な性格が現れている。すなわち、一方では盗みや姦計、他方では知恵をともなった英雄的な行為である。こうした二義牲はスサノオ神話にも顕著に見られるもので、スサノオをトリックスターの類型にあてはめる要素となっている。

スサノオは、古事記では建速須佐之男命、日本書紀では素戔鳴尊と記されている。描かれている内容はほぼ同じである。

秩序の撹乱者としてのスサノオの荒ぶる行為は、高天原における乱暴狼藉振りにいかんなく表れている。この様子を古事記は次のように描いている。

爾に速須佐之男命、天照大御神に白さく、「我が心清く明きが故に我が生める子は手弱女を得つ。此れに因りて言(まを)さば、自(おのづか)ら我勝ちぬ」と云(まを)して、勝さびに、天照大御神の営田(つくあだ)の阿を離ち、其の溝を埋め、亦其の大嘗(おほにへ)を聞こし看す殿に屎まり散らしき。故、然為(しかす)れども天照大御神はとがめずて告りたまはく、「屎如(くそな)すは酔ひて吐き散らすとこそ我が那勢の命如此(かく)為つらめ。又田の阿を離ち溝を埋むるは、地をあたらしとこそ我が那勢の命如此為つらめ」と詔り直したまへども、猶其の悪しき態(わざ)止まずて転(うたて)ありき。天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐して、神御衣(かむみそ)織らしめたまひし時、其の服屋(はたや)の頂(むね)を穿ち、天の斑馬(ふちこま)を逆剥ぎに剥ぎて堕(おと)し入るる時、天の服織女(はたおりめ)見驚きて、梭に陰上(ほと)を衝きて死にき。

「営田の阿を離ち、其の溝を埋め」とは、営々たる農耕の努力を無残に踏みにじるものであり、「大嘗を聞し看す殿に屎まり散らしき」とは神聖なものに対するこの上のない冒涜である。また、高天原を追放されて下界へ逃げる途中、オオゲツヒメにもてなされたスサノオは、彼女の善意に死を以て応える。こうした場面にはむき出しの暴力ばかりがクローズアップされ、機知や姦計といった理知的な要素は含まれていないかのようだ。相手をへこます際にも、常に理知が介在するヘルメスの行為とは、かなり次元が異なるようにもみえるのである。

しかし、下界についたスサノオは、一転して人間的な英雄に変身する。ヤマタノオロチに立ち向かうスサノオの姿は、スーパーマンというより、狡知にたけた知恵者であり、トリックスターとしての資格を遺憾なく発揮している。この辺はアルゴスの首を刎ねるヘルメスと殆ど同次元の英雄振りである。

また、出雲に落ち着いて詠んだとされる歌

八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

これは和歌の始まりとされるものであり、文化英雄としてのスサノオの一面を語るものであろう。英雄となったスサノオは、備後風土記において、蘇民将来の主人公・武塔神となったり、牛頭天王と習合して厄病よけの神となったりして、庶民の信仰に深く根ざしていく。

こうしてみると、スサノオの性格の二面性には次のような対応があるようにも考えられる。すなわち、暴力の権化としてのスサノオは神としてのスサノオの性格を現し、機知に長けたものとしてのスサノオは、人としてのスサノオの性格を現すと。ただ、スサノオは元来が神であり、完全に人間にはなれなかった。それ故、彼の人間としての行いは、トリックスター的な様相を帯びるに至ったのであると。


    


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