日本語と日本文化


スクナヒコナ(少彦名神)と山田の案山子


異形の神スクナヒコナは、日本神話に登場する神々の中でも、とりわけて異彩を放っている。日本神話において、神というものは本来、高天原という天上の世界との間の垂直軸において語られるものなのに、この神は海の彼方にある常世の国から小さな舟に乗って現れた。また、オオクニヌシのパートナーとなって国づくりを行い、一段落すると、粟の茎に跳ね飛ばされるようにして、身を躍らせ、常世の国に帰っていった。

ここからも読み取れるように、スクナヒコナの神には、いづくからともなく現れ、人々に恵をもたらした後、いづくともなく去っていくという、無垢の心のイメージがある。そのありようが、この国の人々に、ほかの神からは得られぬ、独特な親密感をもたらした。その感情は時代をまたぎ、宮沢賢治の「風の又三郎」の世界までつらなっていくのである。

一方、この神を朝鮮半島と関連付ける見方もある。海の向こうとは、とりもなおさず朝鮮半島を指すのだろうし、古代の日本は朝鮮半島とは密接な交流があったから、それが神話の中にも反映しているのだろうという訳である。

少彦名神に関する記紀の記述は極めて少ない。そこからだけでは、この神の全貌をうかがい知ることはできないが、話の端緒として古事記の記述を引用してみよう。

―故、大国主神、出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐す時、波の穂より天の羅摩船(かがみぶね)に乗りて、鵞(ひむし)の皮を内剥に剥ぎ、衣服に為て、帰り来る神有り。爾に其の名を問ひたまへども答へず。且所従の諸神に問ひたまへども、皆「知らず」と白す。爾にたにぐく白言さく、「此は久延毘古(くえびこ)ぞ必ず知りつらむ。」とまをせば、即ち久延毘古を召して問ひたまふ時、「此は神産巣日神の御子、小名毘古那神ぞ」と答へ白しき。

―故、爾に神産巣日の御祖命に白し上げたまへば、答へて告りたまはく、「此は実に我が子なり。子の中に我が手俣よりくきし子なり。故、汝、葦原色許男命と兄弟と為りて、其の国を作り堅めよ」とのりたまひき。故、爾より、大穴牟遅と小名毘古那と、二柱の神相並ばして、此の国を作り堅めたまひき。然て後には、其の小名毘古那神は、常世国に度りましき。故、其小名毘古那神を顕はし白せし、謂はゆる久延毘古は、今に山田のそふどといふ者なり。此の神は足は行かねども、尽に天下の事を知れる神なり。

羅摩船(かがみぶね)とはガガイモの殻でできた舟であり、鵞(ひむし)とは蛾のことである。蛾の皮に包まれるくらいであるから、その大きさは手のひらに軽々と乗るくらいのものであったに違いない。この小さな神がオオクニヌシと組んで、葦原中国を豊かな国に作り変えていく。このアンバランスが、後の世の人々の想像力をそそってやまなかったのである。

ところで、この話に出てくる久延毘古とは、「山田のそふど」つまり案山子のことである。「此の神は足は行かねども、尽に天下の事を知れる神なり。」とあるように、足のない姿は今日の案山子とすでに同じであったと考えられる。この案山子が天下のことを尽に知れるとは、田畑の経営に生活を託した古代人の、田畑の守り神に対する信頼を物がったているのであろう。

少彦名の神話は、風土記や民間伝承の中で様々な広がりをみせた。播磨国風土記には、農耕の隠喩としての糞と土の話が出てくる。それによれば、オオクニヌシとスクナヒコナは我慢比べをした。オオクニヌシは糞をせずにどこまで歩けるか、また、スクナヒコナは土を担いで何処まで歩けるか、互いに競い合ったところが、オオクニヌシが先に音をあげて糞を垂れた。すると、スクナヒコナはその上に土をかけたという。

出雲国風土記には、スクナヒコナが厄病よけの呪いを定める話が出てくる。また、伊予国風土記には、道後温泉の湯で人々の病を癒したという話がある。国土経営者としてのこの神の性格を、それぞれの側面から敷衍したのであろう。

民間伝承の中では、スクナヒコナの小身のイメージが一寸法師の話を生んだ。また、異界からの訪問者という性格からは、座敷童のようなマレビトの信仰を呼び起こしていった。

かように、常世に渡り帰った後にも、この神のイメージは、長くこの国の人々の記憶の中に生き続けてきたのである。


    


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