日本語と日本文化


国譲り神話(葦原中国のことむけ)


天孫降臨に先立つ葦原中国の平定は「ことむけ」と呼ばれている。「ことむけ」とは、言葉で説得して服従させるのが原義であるが、記紀においては、なかなかまつろわぬ国津神たちに対して、力を用いて服従させるさまが描かれている。しかし、その様子は血なまぐさいものでなく、牧歌的でおおらかな雰囲気に満ちている。

「ことむけ」は前後二段に渡って叙述される。前半は天若日子、後半は建御雷神が主人公である。天若日子は天菩比神と同様、国津神に丸め込まれて8年もの間復奏しなかったので、ついには天上より投げられた矢に当たって命を落としてしまう。その矢とは、天上からの使者たる雉に向かって射たものが、己の身に舞い戻ってきて突き刺さったのであった。

若日子の妻下照日女の嘆く声を聞いた若日子の父母が天上より来り、葬儀を行う。そのさまは、「其処に喪屋を作りて、河鴈(かはがり)をきさり持とし、鷺を掃持とし、翠鳥を御食人とし、雀を碓女とし、雉を哭女とし、如此行ひ定めて、日八日夜八夜を遊びき。」というものであった。おそらく古代における葬儀の様子が描かれているのであろう。古代の日本人は、人が死ぬと魂は一度身体を去るが、もしかしたら舞い戻ってくるかもしれないと感じていた。そこで、数日かけて、「もがり」と呼ばれる魂やらいの儀式を行ったのである。

そこへ天若日子と瓜二つの若者が現れた。下照日女の兄阿遅志貴高日子根神である。その姿を見た若日子の父母は、息子が生き返ったと喜ぶのであるが、それには先ほど述べた、魂が舞い戻るという信仰が、前提にあったのだといえよう。死者に取り違えられた阿遅志貴高日子根神は、汚らわしいと感じて大いに怒る。この辺の事情は、古代日本人の死生観が反映していて、興味深いところである。

一方、建御雷神の方は、毅然とした英雄として、葦原中国のことむけを進めていく。その勢いには、オオクニヌシも敬意を表し、息子神の武御名方(たけみなかた)神もなんなく組み伏せられてしまう。

武御名方神はいうまでもなく、諏訪神社の祭神であり、日本の神々の中でも尊崇をうけることはなはだしい神の一人である。その神が、記紀の記述の中では、さえない役割に甘んじている。諏訪湖に追い詰められて、建御雷神に命乞いまでさせられているのである。この辺は、芦原中国のことむけが、出雲に限らず、日本の各地の勢力との間でなされたであろうことの、ひとつの反映であるとも考えられるのである。

建御雷神と武御名方神の戦いは相撲の起源ともされている。古事記には、武御名方神が力競べをしようと、建御雷神の手をつかんだところ、その手は氷に、ついで剣に変わったとある。これなどは、相撲というには、イメージがあわぬが、民間伝承には、二人が石を投げ合ったとする逸話がある。そのときに、建御雷神がなげたとされる石が、いまでも出雲の稲佐の浜に残っている。古代の力比べがどのようなものであったか、彷彿とせしめるのである。

建御雷神はことむけの功績を認められて、鹿島の祭神となった。一方、復命を怠った天若日子のほうは、「アマノジャク」となって、四天王に踏みつけられる運命を甘受することとなった。


    


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