日本語と日本文化


もつれる愛の糸:谷崎の「卍」


「卍」はほぼ同時期に書かれた「蓼食ふ虫」と比較されることが多いが、筆者はむしろ「痴人の愛」の延長上にとらえている。一人称のネトッとした文体、倒錯した恋愛感情、そして登場人物間の思惑のからみあいといった要素が、互いに共鳴しているように受け取れる。

痴人の愛の文体は、それが男によって語られているということもあって、ネトッとした味わいながらも、一方では論理的な筋道を感じさせたが、この小説では語り手が女であり、しかも関西弁で語っているということもあって、一種独特の味わいをかもしだしている一方、論理より心の動きが表に出ている。語り手である主人公の女は、自分の心に浮かんだことを、浮かんだとおりに語っていくわけで、そこには論理の筋道よりも、出来事の前後が物語の道筋になっているわけだ。

それでいて、物語の進行に無理がなく、破綻せずに展開していくのは、作者が物語の結構をあらかじめ入念に作り上げていることのおかげだろう。極めて複雑で、一つ一つの出来事が互いに錯綜しあっている物語が、語り手の口を借りて一直線に進んでいくのは、あたかも見えない糸に操られているかの感を催させるのだが、その見えない糸とは、作者によってあらかじめ整えられている糸なわけである。

作家には、筋書を考えてから書き始めるタイプと、書きながら考えを整え筋書を作り上げていくタイプとがあるように思われるが、谷崎は前者の典型のように見える。

語り手の女によって語られることは、女自身の倒錯した恋愛感情であり、また女をめぐる幾人かの人物たちの、これもまた倒錯した恋愛感情である。痴人の愛にあっては、男女の間のサド~マゾの関係が、男の立場から語られたが、ここで語られる倒錯した恋愛とは主に女同士の同性愛である。それにインポテンツの男のゆがんだ恋愛感情がからまり、またもともと「正常人」であった女の夫までもが、「不義密通」の世界に巻き込まれてゆく。こうした様々な愛が縺れ合うところに、この物語の道筋が成り立っているのだ。

このように、この作品は痴人の愛に比べて主要な登場人物が多いだけ構成も複雑になっている。痴人の愛ではナオミを巡って幾人かの男たちが出てきて脇筋を挿んでいくが、本筋はあくまでも主人公のナオミに関する感情の吐露である。したがって、物語全体を通して筋道は一貫している。主人公が物語の絶対的な中心になっていて、すべては主人公の男の視線を通してえがかれる。

これに対してこの作品では、物語の中心が語り手の女であることは間違いないが、女の同性愛の相手もまた、主人公に劣らず強い役割を果たしている。というのも、主人公の女が知らないところで、この同性愛の女が物語に大きく影響するような行動をしているからである。この一組の女たちを巡って、インポテンツの男と主人公の女の夫とが介在するわけであるが、この四人が、それぞれの思惑を絡ませ合いながら、物語を面白くさせていくわけである。

したがってこの作品は非常に物語性の強い作品となっている。その物語が女の口をかりて、しかも関西弁で語られるところから、物語の物語性、つまり虚構的な性格は一層強くなる。

物語の結末は、同性愛の女たちと主人公の夫と、この三人が睡眠薬を飲んで死ぬことになっているが、何故この三人が死ななければならないのか、その理由は深く説明されていない。死ぬことがあたかもファッションであるかのように、さらりと描かれるのである。死ぬことに深刻さもなければ、じめじめとした暗さもない。つまり、物語を一応完結させるための一つの可能な様式として、主人公たちの死というものも考えられる、そういっているかのようなのである。

しかし結局は、死ぬのは愛する人と夫だけ、主人公の女は生き残る。彼女が生き残ったのは、彼女の深い愛を読者にあらためて感得してもらうのが目的であるかのように。さればこそ、この小説の最後は、次のような言葉で結ばれるのだ。

「あゝ・・・先生(柿内未亡人は突然はらはらと涙を流した)・・・今でも光子さんのこと考へたら憎い、口惜しい思ふより恋しいて恋しいて・・・ああ、どうぞ、どうぞ、こない泣いたりしまして堪忍して下さい」

物語を締めくくるにあたって主人公の女が流す涙は、女の愛の強さ、深さを物語る涙である。日本の小説で、これほどフィナーレの引き締まった作品は他にそう多くないのではないか。

ところで題名の「卍」が何をイメージしているのか、筆者にはいまひとつわからない。谷崎自身は小説の中でこの言葉についての説明をしていないので、勝手な空想をするしかないが、これ自体は本来仏の身にあらわれる瑞相のことを指しているところから、仏と関係があるのかもしれない。小説の中で主人公の女が同性愛の相手の裸体を描くところができてきて、それを観音様の像だといっているが、果してこの観音様のイメージが「卍」のイメージにつながるのだろうか。


    

  
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