日本語と日本文化


夏目漱石の日欧文明比較:イギリスでの日記から


漱石は二年余りに及ぶイギリス滞在中、ついにイギリス人とその社会に溶け込むことができなかった。あまつさえその後半の一年ほどは、ひどいノイローゼも作用して、下宿に閉じこもって日本人との交際もしなくなった。このため漱石はついに狂ったのだという風評が立ち、それが本国にも聞こえて、学業半ばにして、帰国を命じられるのである。

だがこの帰国は漱石にとっては、救いの藁であったかもしれない。帰国の直前には親友の正岡子規が死に、だいぶショックを受けたらしい。これ以上イギリスにとどまり続けたら、あるいは本格的な精神異常に陥ったかもしれない。

そんな漱石が、イギリス滞在中にしたためた日記風のメモには、時折交際したイギリス人たちの印象やら、イギリス文化に対する感想が盛られている。決して多い量ではなく、また断片的で前後の脈絡もないが、それらをぽつぽつと読むことで、漱石の日欧の文明の相違に対する本音の見方が伝わってくる。

漱石のイギリス人に対する観察は、まず彼らのエチケットやら人間関係のあり方に向けられる。もっとも早い言及があるのは、明治34年の正月である。

「彼等は人に席を譲る本邦人の如く我儘ならず
 彼等は己の権利を主張す本邦人の如く面倒くさがらず
 彼等は英国を自慢す本邦人の日本を自慢するが如し
 何れが自慢する価値ありや試みに思へ」

漱石はここで、英国人のエチケットと彼らの権利意識の高さに着目している、それに対して日本人はエチケットを軽視し、また権利を主張して我を張ることがないといっている。しかしてどちらが優れているか、よく考えよといっているが、彼自身はどちらともいえないような気持でいたようだ

彼我のエチケットの相違については、同年4月15日の記事にも出てくる。

「西洋の etiquette はいやに六つかしきなり 日本はこれに反して丸で礼儀なきなり 窮屈にするは我儘を防ぐなり 但し artificiality を免れず 日本は礼儀なし 而も artificiality あり 且無作法に伴ふ vulgarity あり 礼なくして spontaneity あればまだしもなり 其利なく其害あるのみならず礼の害をも兼有せり馬鹿馬鹿敷」

漱石はイギリス人が礼儀にうるさいのは、我儘を抑えて人間関係を円滑にするためだと受け止めた、これに対して日本人は礼儀を知らず、たまたま礼儀を行なうときには、そこには自然さがなく、いやみばかりが目に付くという

あれだけ気位の高く、かつ日本の文化に愛着を持っていた漱石が、礼儀の面では同胞人をこき下ろしているわけである。

一方イギリス人の人間関係については、そのしつこいまでの濃厚さに、漱石は着目している。同年3月12日の日記には次のような記述がある。

「西洋人は執濃いことがすきだ 華麗なることが好きだ 芝居を見ても分る 食物を見ても分る 建築及び飾装を見ても分る 夫婦間の接吻や抱き合ふのを見ても分る 是が皆文学に返照して居る故に洒落超脱の趣に乏しい 出頭天外し観よといふ様な様に乏しい 又笑而不答心自閑と云ふ趣に乏しい」

人間関係については漱石自身淡白なほうであったから、イギリス人のように濃厚な人間関係のあり方は、窮屈だと感じたのである。

それでも漱石は、西欧の文明が優れていることは認めざるを得なかったようだ。なにしろイギリス文学を飯の種に選んだのであるし、その文学に流れているものが、人間関係を始めとした文化のあり方そのものの返照だと、認めざるを得ないからだ。

そこで漱石は西欧の文明と日本の文明の、過去今日未来について比較しつつ語る。

「3月21日 英人は天下一の強国と思へり 仏人も天下一の強国と思へり 独乙人もしか思へり 彼等は過去に歴史あることを忘れつつあるなり 羅馬は滅びたり 希臘も滅びたり 今の英国仏国独乙は滅ぶるの期なきか、日本は過去に於て比較的に満足なる歴史を有したり 比較的に満足なる現在を有しつつあり、 未来は如何あるべきか、自ら得意になる勿れ、自ら棄る勿れ、黙々として牛の如くせよ 汲々として鶏の如くせよ、内を虚にして大呼する勿れ、真面目に考へよ 誠実に語れ 真摯に行へ 汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来となって現なるべし」

漱石は西欧文明といえども永遠のものではあるまいというかたわら、日本についても西欧と同じ轍を踏むこととなりかねない、そうならぬためには、日本人が謙虚になって、地味な努力を続けなければならぬと反省している、恐らく日清戦争に勝って国威大いに発揚し、一流民族としての誇りに酔っていた当時の同胞たちを戒めたかったのだろう。

実際当時の日本人は、中国人をはじめアジアの人々を見下しているところがあったようだ。こんな風潮に対しては、漱石は次のようなことを言って、戒めている。

「3月15日 日本人を見て支那人と云はれると嫌がるは如何、支那人は日本人よりも名誉ある国民なり、只不幸にして目下不振の有様に沈倫せるなり、心ある人は日本人と呼ばるるよりも支那人と云はるるを名誉とすべきなり、仮令然らざるにせよ日本は今迄どれ程支那の厄介になりしか、少しは考へて見るがよからう、西洋人はややもすると御世辞に支那人は嫌だが日本人は好だと云ふ、これを聞き嬉しがるは 世話になった隣の悪口を面白いと思って 自分が景気がよいと云ふ御世辞を有難がる軽薄な根性なり。」

漱石は若い頃から漢学に親しんできた。ところが明治になって漢学は省みられなくなり、また日本が中国との戦争に勝ったこともあって、中国の文化に対する日本人の尊敬が著しく弱くなっていた。漱石はそんな風潮に釘を刺したかったのだろう。

ともあれ、勢いのよかった当時の日本のあり方に対して、漱石はもっと謙虚になることを求めたかった。そんな思いが3月16日の日記に覗いている。

「3月16日 日本は三十年前に覚めたりと云ふ 然れども半鐘の声で飛び起きたるなり 其覚めたるは本当の覚めたるにあらず 狼狽しつつあるなり 只西洋から吸収するに急にして消化するに暇なきなり、文学も政治も商業も皆然らん 日本は真に目が覚めねばだめだ」

最後の断定的な言葉に、漱石の強い思いが込められているようである。 


    


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