日本語と日本文化


フィリピン人の対日感情:大岡昇平「ミンドロ島ふたたび」


戦後二五年経ってからフィリピンを訪問した大岡には、自分たち日本人に対するフィリピン人の怨恨はいまだに強いだろうと予感された。一般の日本人も、フィリピン人とは酒を飲んではいけないと、現地の大使館筋から注意されていたらしい。フィリピン人は、戦争の賠償問題が片付いて以来、表面では日本人に好意的な態度をとっていたが、「しかし酒を飲んで、長時間日本人と対面していると、怨恨の中核があばれ出す。不意に表情が変り、とめどなく怨みの言葉が吐き出される。伝聞が自分の経験として語られ、実際自分が被害者であったような気持になって来る。その結果としてとかく刃傷沙汰が起る」

まして大岡のように、フィリピンに兵士として滞在し、フィリピン人に対して抑圧的な行動をとった者は、自分の行動に照らして、フィリピン人の怒りが理解できた。だから大岡は、とりわけミンドロ島では、自分が戦時中そこに滞在していた日本兵であることを全面的に隠した。サンホセなどで、かつて自分が強いかかわりを持った遺跡に接した際には、思わず声を上げそうになったが、自分の過去を知られるのを恐れて、喉を突いて出そうになる声を抑えた。また、かつて自分と親しく接した現地の人と出会った際には、つい自分の身分を名乗り出て、旧交を温めたいと思わないでもなかったが、自分にも、また相手にも、面倒な事態が起ることを恐れて、感情を抑圧した。

大岡が現地の人の日本人への屈折した感情に接したのは何度かあったようだ。そのいくつかのケースを簡略に記している。まず、サンホセのホテルの主人。この男は初対面の大岡が差し出した手を、まともに握り返そうとしなかった。この男は、かつてはゲリラの隊長で、10人の日本兵を殺したと語った。その上で、「私はもう昔のことは忘れたいと思っている。しかしこの町の人間の大部分はそうは思っていない。あまり出歩かないほうがよいでしょう」と言った。それに対して大岡は、自分を新聞特派員と自己紹介し、「住民の感情がよくないのは残念であるが、われわれはいまは仲良くやっていきたいと思っている」と答えるのがせいぜいだった。

大岡が現地の人の日本人への悪感情を直接感じさせられたのは、サンホセの町長のオフィスで、たまたま出会った若いカップルのために、記念撮影をしてやったときのことだった。当時のフィリピンでは、写真は非常に貴重なもので、結婚の記念写真を撮れるのは喜ばしいことのはずだったが、この若いカップルは少しもうれしそうな表情を見せなかったばかりか、写真を撮ってやった自分に対してわだかまりに満ちたまなざしを向けた。「この時撮った新しいカップルの写真は、いま私の手許にあるが、花嫁の伏せた眼、閉じた口、花婿のガラスのような無表情の眼に、胸をえぐられるようである。この顔のうしろには、われわれの三年間の占領とその間のフィリピン人全部の苦悩が広がっている。どうしようもない存在の重みとなって、私をおびやかすのである」

このケース以上に大岡にこたえたのは、滞在の終わりに近づいて、心がやや弛緩していたときに、あるフィリピン女性から受けた言葉だ。その女性が売っていたスイカがうまそうだったので、同行のものがハウ・マッチと声を掛けると、首を振って答えない。売り手が決まっているということらしい。そこで半分でいいから売ってくれないかとPCを通じて重ねて頼んだところ、西瓜を切るよりそこにいる日本人の頭を二つに切りたいと言った。「これはわれわれが受けた最後の痛撃だった。その亭主持ちらしい女の顔は笑っていたが、眼には残忍な光があった。われわれは回れ右をした」。この女性の振る舞いに対して大岡は、「戦争中100万人を殺された怨恨は、25年では消えないだろう」といって、相手の非礼を怒るのではなく、日本人の罪深さを反省するのである。

いまの日本人の間では、大岡のこの時のような考え方は自虐趣味だとして罵倒する者もいるだろう。その連中なら、日本がフィリピンに進出したのは、アメリカの暴虐のくびきからアジアの同胞を解放する為の正義の行為だったというだろうし、当時のフィリピン人は日本に希望の光を見出していたなどと強弁するに違いない。

もっとも、大岡と接したフィリピン人の中には、あの戦争で本当に悪かったのは日本人ではなく、朝鮮人や台湾人だったと言うような者もいた。戦時賠償問題が決着すると、フィリピンは過去に拘るよりも、未来に向けて、日本の協力を期待するようになった。だから国民に対しても、過去のことに拘らず未来志向で日本と仲良くしようとキャンペーンを張っていた。そうは言われても、フィリピン人たちが日本軍によって酷い眼にあわされた事実は消えるべくもない。そこで、本当に悪かったのは日本人の兵隊ではなく、戦時中は日本の植民地だった朝鮮や台湾の出身者なのだというような屁理屈が一部に横行していたらしいのである。その朝鮮や台湾に対してフィリピンは非常に強いライバル意識を持っているらしく、日本に負けるのはしょうがないにしても、朝鮮や台湾にだけは負けたくないと思っていたようである。

ともあれ大岡は、このミンドロ島訪問を通じて積年のもやもやが一部晴れる思いがしたようである。それにつけても、フィリピンの人々に遠慮しすぎたかも知れないと大岡は反省している。もう少し大胆になってもよかったかもしれない。そうすれば当初抱いていた計画を、簡単にあきらめる必要もなかったかもしれない。そう思うのであるが、それは後から反省するからそう思えるのであって、事態の渦中に身を置いているときには、世の中はまた違って見えるものなのである。




  
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