日本語と日本文化


安部公房「箱男」


「箱男」を読んでまずうならされるのは、その構成の奇抜さである。この小説にはどうも複数の語り手がいるらしいのだが、それらがどういう関係にあるのかよくわからないうえに、その一部は実在しない語り手らしいのだ。というのも、語りかけられている人物が実在しない人物で、その実在しない人物が実在したかに思われる出来事を語ったりするからだ。しかもそれら様々な出来事の間に、実在的な関連がない。語り手の夢の内容がそのまま現実性を帯びたかのようでもある。とにかく、出来事の相互関係が輻輳し、そのために何がどうなっているか、その道筋が遂には見えなくなってしまうのだ。だからこの小説を読み終わった読者は、深い疲労感を覚えるに違いない。

この小説が読者を導こうとしている行路を見失わないためには、「ぼく」の資格で語りかけているものの正体をきちんと把握しておくことが肝要だ。最初に出てくる「ぼく」は、自ら「箱男」と名乗り、いまのところはその資格で語りかけていると主張している。この僕が物語全体の狂言回しとなって、読者を一定の行路に導くかのような体裁をとっているのだが、途中でこの「ぼく」の内実が変わってしまうのだ。

語り手であるぼくの話の大部分は、自分と全く同じく箱男になった医者とその看護婦とのやり取りなのだが、この医者(実は偽医者)と看護婦とは実は箱男の妄想の産物というか、箱の内部の壁に描かれた落書きだったのである。箱男はだから自分の落書きを相手に長たらしい会話をしていたというわけだが、その会話がかなり進展したところで、別のぼくが語り出す。そのぼくは遺体安置室に横たわっているらしいのだが、その話の内容からして、どうやら偽医者の上司だったという軍医らしいのだ。偽医者は箱男の妄想なのであるから、その妄想のそのまた妄想である軍医が、ぼくという資格で物語の中に入り込んでくるわけである。

ついで「最後の挿入文」と言われる短い文章の中にもぼくを名乗る語り手が出てくる。この語り手は必ずしも最初のぼくであるとは限らない。「挿入文」と呼ばれるとおり、この部分は物語の本文ではないので、その文章の語り手は、誰であっても差し支えないのだ。

このあと、本物の箱男であるぼくの妄想の所産である偽医者のぼくが、同じく妄想の所産である看護婦と短いやり取りをしたあとで、本名がショパンだというぼくがいきなり語り出す。そして小説の最後にもまたぼくが出てきて、物語全体に終止符をうつわけだが、どうもこのぼくは最初に出てきたぼくと同一人物らしくも思えるし、違うようにも思える。どちらにしても大した相違は無いから、あとは読者の受け取り方におまかせします、というような安部の意図の如きものが伝わってくる。とにかく不思議な構造をした小説なのである。

複数の語り手が出てきて、それぞれ勝手なことを脈絡もなく語りながら、最後には相互に響きあって、物語全体としてはつじつまが合う、というのは、フォークナー以降小説のひとつの手法として認められてはきたが、安部のこの小説のように、複数の語り手が最後まで響きあわず、つまり物語全体としてつじつまが合わず、しかも語り手の一部は別の語り手の妄想の産物だったというような配置は、それまで全くなかったものだ。そんなわけで安部のこの小説は、前例の無い斬新さを持ち合わせていたといってよい。

構造の奇抜さに、内容が吊り合っていたら、世界を震撼させるような傑作になったかもしれない。そうならなかったのは、内容がいささか痩せていたからだろうと思う。安部一流のとぼけた持味は感じられるが、深さが足りないのではないか。唯一深さを感じさせるのは、少年Dをめぐる挿話だ。この少年は隣家の女性が便所で用を足しているところを覗き見しようとして、つまり女の陰部を見つめようとして、かえって女から反撃をくらい、女の目の前で裸にさせられたうえ、自分の勃起した陰茎が煩悶のあまり射精してしまうのだ。これは、相手を一方的に見つめようとしたものが、かえって相手から一方的に見つめられたということで、見つめ見つめられる関係における人間存在の意味のようなものを明らかにしようとする安部の意図がよく伝わってくるところだ。

ところで安部は、箱男と浮浪者は違う、と繰り返し強調している。そうせざるを得なかったのは、その当時の日本では多くの浮浪者がダンボールの箱の中でヤドカリのような暮らしをしていたという現実があったからだろう。今では浮浪者はホームレスと呼ばれるようになり、かれらはだいたいビニールシートでテントを作って暮している。隅田川のテラスやちょっとした公園などには、コンパネで頑丈な小屋を作って暮しているものもいる。そういう連中を、自分の意思で気ままな暮らしぶりを選んだ怠け者たちだと、かつて某都知事が言ったことがあるが、当のホームレスは、それは偏見だといって反発したものだ。安部自身は、箱男たちをどのように捉えていたのか。この小説からはどうも明確な答えは見えてこないようだ。




  
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