日本語と日本文化


旧国名考その五 東海道、陸奥


東海道は、伊勢から常陸までの諸国を含む。すなわち、伊勢、志摩、伊賀、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸の諸国である。東海道の北側、白河より先は陸奥であるが、その一部である磐城と岩代は、古代の一時期独立していたこともあった。

伊勢 もと「せ=瀬」の国といったものが伊勢に転じたのではないかとする説がある一方、古事記応神天皇の条に海部、山部などとともに伊勢部を定めたとある記述を引用して、伊勢部は磯部すなわち海浜の民を意味し、また伊勢は磯がなまった形だとする見解もある。

志摩 志摩は伊勢から分かれた。伊勢の国のうち、小島の多い海岸地方をさして「島=志摩」の国といったらしい。

伊賀 伊賀は伊勢から分かれたが語源はよくわからない。あるいは「あが」が「いが」に転じたともいう。「あが」は、「上がる」の「あが」と語根を同じくし、高所という意味である。

尾張 尾張は「小墾」とも書き、開墾された土地だとする説がある。あるいは畿内からみて「終り」にあたる土地だとする説もある。

三河 三河は三つの川ではなく、御川が流れる土地という意味らしい。御川とは矢作川をさす。

遠江 遠江は近江と相対した名である。古くは近江を「淡海」といったのに対して、浜名湖を遠いところにある海「とほつうみ=遠江」といった。

駿河 古くは「砂処」と書き、砂地を意味したらしい。駿河には三保の松原をはじめ砂浜が多かったからか。

甲斐 甲斐は「かひ=峡」つまり山々にはさまれた土地という意味である。

伊豆 伊豆は海に突き出た半島であるところから「いづる=出づる」が原義で、後に「いづ=伊豆」となったとする説が有力である。

相模 相模は武蔵から分かれた。「さがうみ」狭い海という意味だろうか。あるいは坂から見下ろした土地(坂見)とする見方もある。坂とは箱根の足柄峠をさす。

武蔵 武蔵は「むさ」から来たと思われ、「むさくるしい」国という意味だろう。「むさくるしい」とは、古来湿地帯で乱雑なイメージの強い土地柄を表したとも、あるいはむさくるしい野蛮人が住んでいた土地柄を表したとも解せられる。

安房 安房は上総から分かれた。房総半島の先端は海流によって四国の阿波とつながっていることから、こう名づけられたとする見方がある。あるいは海流の泡立つさまから連想された名だとも考えられる。

上総 下総 上総と下総はもとあわせて「ふさのくに」と呼ばれていた。ふさとは麻の一種である植物をさす。南側が上りの方角に当てられているのは、古来房総半島が海路によって中央と結ばれていたことを反映している。

常陸 常陸は日が立つ国という意味である。常陸の鹿島神宮は伊勢神宮と並んで重要な神社であったことから、その神社がある国には、最初に日が昇ったとする考えが強くあったのだろう。

磐城 磐城は岩代とともに、古代では独立した国であったが、後に陸奥の一部とされ、明治2年に再び陸奥から独立した。古代、この地方は北方防御の最前線と位置づけられ、多くの砦「き」が作られていた。それらが岩のように磐石であることをイメージして「岩の砦」のあるところ、すなわち「いはき」と名づけられた。

岩代 岩代は磐城の背後という意味である。大和の背後が山城であるのと同じ原理にしたがって命名された。

陸奥 道の奥がなまって「みちのく」となり、それがさらに「むつ」となったとするのが定説である。陸奥が陸前、陸中、陸奥の三国に分割されたのは明治2年のことである。


    

  
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