日本語と日本文化


お夏清十郎:西鶴と近松


お夏清十郎の物語は万治三年(1660)に実際にあった出来事である。姫路という地方の町で起きた出来事であったにかかわらず、瞬く間に日本中に知れ渡り、流行歌に歌われるほど、民衆の心に定着した。西鶴も近松も、この事件をもとにして、作品を書くのである。

西鶴が好色五人女でこれを取り上げたのは貞享三年(1686年)、近松はそれより20年以上たった宝永六年(1709)に浄瑠璃にして上演した。ふたつとも同じ事件を下敷きにしていながら、ニュアンスの違うところがある。

いづれも創作という点で、現実を超越したところがあるのは当然のことであり、まして実際に起きてから長い時間がたっている。そうした点で、描き方に相違が生じるのは当たり前ともいえるが、興味深いのは、西鶴と近松という近世文芸史上の大物作家が、これをどのように料理したかという点である。

西鶴はこの物語を、好色という視点から描いている。好色とは現代的な意味とはだいぶ異なって、男女が愛に生きるという意味である。

五人女の中には、お夏のほかに、これもまた有名な八百屋お七も含まれている。彼女らは、自分の愛に忠実に生き、その結果悲劇的な結末を迎えるのだが、その悲劇的なところが民衆の同情を誘う、西鶴はその同情心をあて込んで、作品の成功を期待したふしがある。

悲劇的といっても、西鶴の場合には、そんなに深刻ではない。結末が気の毒な結果に終わったというくらいなもので、中身は浮ついた恋がみなぎっている体である。浮世草紙という性格上、作品があまり深刻になることは、期待されなかっただろう。深刻さよりも、意外さのほうが尊ばれたのである。

これに対して近松は、この物語に自分なりの解釈を施して、文字通り悲劇的な作品に仕上げた。

悲劇的というのは、登場人物たちが、自分の意思にかかわらぬ運命的な事情に呑み込まれて、身を滅ぼしてしまうことをさしていう。日本の文学的な伝統の中では、ギリシャ悲劇にあらわれるような典型的な悲劇の構造は成立しにくいのだが、近松はこの作品で、主人公たちを運命にもてあそばれているように描くことによって、悲劇的なものの演出にある程度成功しているように思えるのである。

それを成り立たせる装置を、近松はいくつか用意した。一つ目は、清十郎の破滅のもとになったともいえる行為を、実の父親はじめ肉親が犯してしまうという点だ。父親は息子の不利を知ってこんな行為をしたわけではないから、それは運命的なアイロニーとして働くのである。

お夏と清十郎の間柄も、ある意味で運命的だ。清十郎は十一歳で奉公したことになっており、お夏とはいわば幼馴染だ。その二人の間に恋が芽生えるのは自然であろう。しかしお夏は父親によって、清十郎とは異なる男に嫁がされようとしている。これもまた運命のいたずらだ。当時の封建的な人間関係を前提にすれば、こうした事情の中でお夏と清十郎が結ばれる可能性は無に等しい。そこを二人は自分たちの意思で突破しようとして、結果的には滅亡せざるをえなくなるのだ。

清十郎を滅亡に導く出来事を、西鶴は横領の冤罪ということにしているが、近松は一歩踏み込んで、清十郎に殺人を犯させている。西鶴とは非常に違ったプロットを持ち込んだわけだが、それは作品の悲劇性を高める効果をもたらしている。

実際に起こった出来事は多分、横領の冤罪くらいのものだったろう。近松自身、この作品の中で、清十郎が金を横領したとの嫌疑を受ける場面を差し挟んでいるが、さらりと言及するだけでそれ以上に、展開することはなかった。そのかわりに人を殺すシーンをわざわざ持ち込んだのだ。

人を殺すシーンを持ち込むことで、清十郎が激情に駆られて自分の身を滅ぼしていくという、悲劇的なプロセスが迫力を帯びる。近松はその辺を計算して、わざわざ殺人のシーンを持ち込んだと思えるのだ。

こうして悲劇のお膳立てが揃ったところで、物語は一気にクライマックスに達する。お夏の狂乱と清十郎の自害だ。お夏笠物狂いと題したこの場面には、お夏清十郎を中心にして、それまでに登場した人物が勢ぞろいする。彼らの見ている前で、清十郎に加えられた陰謀が明るみにされるが、清十郎は結局殺人の咎によって許されることがない。ただ磔獄門になるところを、自害することができたというのが、唯一の救いになっている。


    

  
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