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冥途の飛脚:近松門左衛門の世話浄瑠璃


冥途の飛脚は、文楽のほか歌舞伎として演じられることもあり、近松門左衛門の作品の中では、現代人にも比較的なじみが深い。といってもテーマが現代人にも分かりやすいということではない。女のために犯罪を犯し、逃走する男とそれに付き添う女の物語という点では、いまでもどこかで起こりそうな出来事とはいえそうだが、男が罪を犯す動機がどうも納得できない。

主人公の忠兵衛は、今でいえば銀行に勤めるサラリーマンといった役柄で、お客からの預り金を女のために流用してしまうのだが、男を流用に走らせる動機がどうも不純なのだ。

忠兵衛は、恋人である遊女の梅川が田舎ものによって見受けされそうなのに慌てて、金の工面で無理をする。よくある話だ。彼はその金を年来の友人八右衛門から無断で借用することによって用立てるが、相手が友人であることがかえってあだになる。

忠兵衛は後により一層始末の悪い横領を重ねてしまう。年来の友人の前で自分のメンツを守るため、店の金を横領し、それを友人の目の前に投げ捨てるようにして、借金を返すのである。

これは手前勝手な思いに発した行為だ。その手前勝手な思いが、社会から厳しく追及されて、身の破滅につながっていく。

普通に考えれば、忠兵衛のとった行動はあまりにも浅はかだ。猿知恵か子供の思い違いとしかいいようがない。この劇の眼目は、梅川を身請けするために横領を重ねるところにあるのだが、それがあまりにも見え透いた行為であるため、なぜそんなバカげたことをやらかしたのか、ほかにもっとうまくてばれないで済む方法があったのではないか、そんな批判を浴びそうで、したがって格好よくないのだ。

この劇は忠兵衛が梅川のために他人の金を横領する封印切の場面と、忠兵衛・梅川が忠兵衛の故郷新口村へ逃げていく場面からなっている。その二つの場面をつなぐのは、忠兵衛の決断だ。だがその決断は、必然性を欠いているように見える。

近松はこの作品を実際に起きた出来事をもとにして書き上げた。その出来事とは、女のために預り金を横領した飛脚の話であった。飛脚は問屋仲間で信用を支えあっており、仲間の誰かが大損をしたときには、皆でその損を埋めるという仕掛けを作っていた。いわば運命共同体のようなものであった。だから成員の誰かが意図的に仲間に損害をかぶせれば、そのものは必ず罪を償わなくてはならない。そんな世界の中で生じた横領と、それに対する仲間全体による制裁という事件が、近松の想像力を刺激したのだろう。

近松は、飛脚仲間のひとりである忠兵衛が、どんな動機から固い掟を破るに至ったか、そこに個人の意思を超えた運命のようなものが作用していたのか、このことに強烈な関心を抱いたのではないか。

封印切という、金融業者として、やってはならない行為に忠兵衛を借り駆り立てたのは、梅川への熱い思いであった。その行為をやってしまった瞬間、忠兵衛は、飛脚仲間は無論、社会全体から葬り去られる運命に陥る。

梅川はそんな忠兵衛の自分への愛を受け入れ、忠兵衛を夫として、絶望的な逃避行についていく。この若い男女の熱い愛が、近松を動かしてこの作品を書かせたのではないか。


冥途の飛脚二段目:封印切
冥途の飛脚三段目:忠兵衛梅川相合駕籠


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