日本語と日本文化


かひあはせ(一):堤中納言物語


九月の有明の月に誘はれて、藏人の少將、指貫つきづきしく引き上げて、たゞ一人小舍人童ばかり具して、やがて朝霧も立ち隱しつべく、隙なげなるに、 「をかしからむ所の空きたらむもがな。」 と言ひて歩み行くに、木立をかしき家に、琴の聲仄かに聞ゆるに、いみじう嬉しくなりて、 「めぐる門の側など、崩れやある」 と見けれど、いみじく築地などまたきに、なかなか侘しく、「いかなる人のかく彈き居たるならむ」と、理なくゆかしけれど、すべきかたも覺えで、例の聲出ださせて隨身にうたはせ給ふ。
  行くかたも忘るゝばかり朝ぼらけひきとゞむめる琴の聲かな
とうたはせて、「まことに暫し、内より人や」と、心時めきし給へど、さもあらねば、口惜しくて歩み過ぎたれば、いと好ましげなる童四五人許り走り違ひ、小舍人童男など、をかしげなる小箱やうの物を捧げ、をかしき文、袖の上にうち置きて出で入る家あり。

「何わざするならむ」と床しくて、人目見はかりて、やをらはひ入りて、いみじく繁き薄の中に立てるに、八九ばかりになる女子のいとをかしげなる、薄色の袙紅梅などしだれ著たる、小さき貝を瑠璃の壺に入れて、あなたより走る樣の慌しげなるを、「をかし」と見給ふに、直衣の袖を見て、 「こゝに人こそあれ」 と、何心もなく言ふに、侘しくなりて、 「あなかま。聞ゆべき事ありて、いと忍びて參り來たる人ぞ。そと寄り給へ」 と言へば、 「明日の事思ひ侍るに、今より暇なくて、そゝきはんべるぞ」 と囀りかけて、往ぬべく見ゆめり。

をかしければ、 「何事のさ忙がしくは思さるゝぞ。麿をだに思さむとあらば、いみじうをかしき事も加へてむかし」 と言へば、名殘なく立ち止りて、 「この姫君と上の御方の姫君と、貝合せせさせ給はむとて、月頃いみじく集めさせ給ふに、あなたの御方は大輔の君、侍從の君と貝合せせさせ給はむとて、いみじく覓めさせ給ふなり。まろが御前は、唯若君一所にて、いみじく理なく覺ゆれば、只今も姉君の御許に人遣らむとて、罷りなむ」 と言へば、 「その姫君たちのうちとけ給ひたらむ、格子のはざまなどにて見せたまへ」 といへば、 「人に語り給はば、母もこそ宣へ」 とおづれば、 「物狂ほし。まろは更に物言はぬ人ぞよ。唯人に勝たせ奉らむ、勝たせ奉らじは、心ぞよ。いかなるにか。いと、物けぢかく」と宣へば、萬もおぼえで、 「さらば歸り給ふなよ。隱れ作りてすゑ奉らむ。人の起きぬさきに。いざ給へ」 とて、西の妻戸に屏風押し疊み寄せたる所に居すゑ置くを、

「ひがひがしく、やうやうなり行くを、 をさなき子を頼みて、見つけられたらば、よしなかるべきわざぞかし」 など、思ひ思ひ、間より覗けば、十四五ばかりの子ども見えて、いと若くきびはなるかぎり十二三ばかり、ありつる童のやうなる子どもなどして、殊に小箱に入れ、物の蓋に入れなどして、持ち違ひ騷ぐなかに、母屋の簾に添へたる几帳のつま打ち上げて、さし出でたる人、僅に十三ばかりにやと見えて、額髪のかゝりたる程より始めて、この世のものとも見えず美しきに、萩重の織物の袿、紫苑色など押し重ねたる、頬杖をつきて、いと物悲しげなり。

(文の現代語訳)

九月の有明の月に誘われて、藏人の少將が、指貫の裾を上手にたくし上げ、お供にただ一人の小舍人童を連れて、朝霧がそのまま彼らの姿をかくしてしまうほど立ち込める中を、「趣のある家で開いているところがあればよいな」と言いながら歩いていくと、木立が洒落た家から、琴の音が仄かに聞こえている。少将はたいそう嬉しくなって、「門の側などに、崩れたところはないか」と見てみたが、築地などは完璧なので、かえってがっかりした。「どんな人がこんなふうに弾いているのだろうか」とわけもなく心引かれるけれど、どうしようもないので、いつものとおり随人に声を出させて歌わせたのであった。
  行くかたも忘るゝばかり朝ぼらけひきとゞむめる琴の聲かな
と歌わせて、「こうしてしばらく待っていれば、中から人があらわれるかも」と心をときめかせたが、誰も出てこないので、残念に思って歩み過ぎた。すると、たいそうかわいらしい女童が四五人走り違い、小舍人童や従者の男などが見事な小箱のようなものを捧げ持ち、洒落た手紙を袖の上に乗せて、出入りする家がある。

少将は「なにをするのだろう」と知りたくなり、人目を見計らって、するりと家の中に入ると、たいそう生い茂った薄の中に立った。すると、八九ばかりになる女の子で、とても可愛く、薄色の袙紅梅などを着たのが、小さな貝を瑠璃の壺に入れて、あっちの方から走ってきた。その様子があわただしいので、「面白い」とご覧になっているところ、女の子が少将の直衣の袖を見て、「ここに誰か人がいますよ」と何気なく言った。少将は困ってしまい、「あれ、静に、お話申し上げるべきことがあって、こっそりやって来たものです。ちょっとこっちへ寄りなさい」と言うと、「明日のことで頭がいっぱいで、今から忙しく、せわしないのよ」とまくしたてて、行ってしまいそうである。

少将は面白く思い、「何ごとでそんなに忙しくされるのか、私を頼りにしさえすれば、立派な加勢をしてあげよう」と言ったところ、女の子はそのまま立ちどまって、「この姫君と上の御方の姫君とが、貝合せをなさるというので、その準備に、一月もの間沢山の貝を集めておられます。あちらのお方は、大輔の君や侍從の君が沢山集めておいでです。うちの姫君には、弟君がひとりいらっしゃるだけですが、どうしてよいかすっかりお困りになって、ただいまも姉君のもとへお遣いをつかわされるところです。それで私もお遣いにまかるところなのです」と言う。少将は「その二人の姫君たちのくつろいでいるところを、格子の狭間などから見せておくれ」と言ったが、「そんなことを人にお話しされたら、私が母からしかられます」と恐れるので、少将は「そんな馬鹿な、私は口が堅い人間です。とにかく姫に勝たせてあげるのも、あげないのも、私の心ひとつです。あなたはどう思う? さあ、近くへ案内しなさい」と言う。すると女の子は、深い考えもなく、「それなら帰らないでここにいらっしゃい。隠れ場所を作って、そこにご案内しましょう。人が起きない先にそこへ隠れなさい、さあ、こちらへ」と言って、西の妻戸に屏風を畳み掛け、そこへ少将を隠したのだった。

「だんだん変な具合になってきた。小さな子を頼んでこんなことをしたが、見つかったら、さぞ具合の悪いことだろう」などと思いながら、隙間から覗くと、十四五歳ばかりの女の子たちのはちきれそうに若々しいのが十二三人ほど、それに先程の女の子も加わり、貝を小箱に入れたり、物の蓋に入れたりして、持ち違い騒いでいる。そこへ、母屋の簾に添えた几帳の端を持ち上げて、出て来た人がいる。十三歳ほどに見えるその姫君は、額に髪がかかったさまを始め、この世のものとも思えぬ美しさである。萩重の織物の袿や紫苑色などを押し重ね、頬杖をついて、たいそう悲しげな様子である。

(解説と鑑賞)

貝合わせとは、貝の大きさや美しさを比べあう遊びである。文中に「白銀の蛤、虚貝」とあるので、ハマグリの貝殻を比べたのであろう(虚貝"うつせかひ"は貝殻のこと)。前章の「逢坂超えぬ権中納言」では、アヤメの根合わせが話題になっていたが、ここでは、貝くらべが話題になっているわけである。

根合わせのほうが大人の女の遊びなのに対し、貝合わせは子どもの遊びとして描かれている。その子どもの遊びに、高家の御曹司が興味を示し、一方の姫君に肩入れする話と言うことになっている。

この物語に出てくる姫君は、どうやらママ子のようなので、これはママ子いじめのバリエーションだとする解釈もある。平安時代末期には、落窪物語を始めとして、ママ子いじめの物語が流行ったから、その解釈にも一理あるかもしれぬ。

最初の部分では、藏人の少將が、ガールハントを目的に徘徊しているうちに、貝合わせの準備に忙しい童と出会い、その子の手引きで、邸の中に入り込む。邸では、沢山の子どもたちが走り回り、そこへ姫君と思われる十三歳ほどの少女が現れる。彼女の美しさに、少将は見とれてしまうのだが、その後恋には発展しない。恋の相手としては、姫君はまだ子どもすぎるのだ。




  
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