日本語と日本文化


逢坂越えぬ權中納言(四):堤中納言物語


土さへ割れて照る日にも、袖ほす世なく思しくづほるゝ。 十日余日、宵の月隈なきに、宮にいと忍びておはしたり。宰相の君に消息し給ひつれば、 「恥しげなる御有樣に、いかで聞えさせむ」 と言へど、 「さりとて、物のほど知らぬやうにや」 とて、妻戸押し開け對面したり。うち匂ひ給へるに、餘所ながらうつる心地ぞする。なまめかしう、心深げに聞え續け給ふ事どもは、 奧の夷も思ひ知りぬべし。

「例のかひなくとも、斯くと聞くばかりの御言の葉をだに」 と責め給へば、 「いさや」 と打ち歎きて入るに、やをら續きて入りぬ。臥し給へる所にさし寄りて、 「時々は端つ方にても涼ませ給へかし。餘り埋もれ居たるも」 とて、 「例のわりなき事こそ、えも言ひ知らぬ御氣色、常よりもいとほしうこそ見奉り侍れ。唯一言聞え知らせまほしくてなむ。野にも山にも、と喞たせ給ふこそ、わりなく侍れ。」 と聞ゆれば、 「如何なるにか、心地の例ならず覺ゆる。」 と宣ふ。

「いかゞ」 と聞ゆれば、 「例は宮に教ふる」とて、動き給ふべうもあらねば、「斯くなむ聞えむ」 とて立ちぬるを、聲をしるべにて尋ねおはしたり。思し惑ひたる樣、心苦しければ、 「身の程知らず、なめげには、よも御覽ぜられじ。唯一言を」 と言ひもやらず、涙のこぼるゝさまぞ、樣よき人も無かりける。

宰相の君出でて見れど、人もなし。「返り事も聞えてこそ出で給はめ。人に物宣ふなめり。」と思ひて、暫し待ち聞ゆるに、おはせずなりぬれば、「なかなかかひなき事は聞かじ、など思して、出で給ひにけるなめり。いとほしかりつる御氣色を、我ならば」とや思ふらむ、あぢきなく打ち詠めて、うちをば思ひ寄らぬぞ心おくれたりける。

宮はさすがにわりなく見え給ふものから、心強くて、明け行く氣色を、中納言も、えぞ荒立ち給はざりける。心のほども思し知れとにや。わびしとおぼしたるを、立ち出で給ふべき心地はせねど、「見る人あらば、事あり顔にこそは」と、人の御ためいとほしくて、 「今より後だに思し知らず顔ならば、心憂くなむ。猶辛からむとや思しめす。人は斯くしも思ひ侍らじ。」 とて、  
  怨むべきかたこそなけれ夏衣うすき隔てのつれなきやなぞ

(文の現代語訳)

土さえひび割れるほど照り渡る日にも、中納言は袖を濡らして泣き崩れていたのだが、月の十日過ぎのある日、宵の月明かりの中を、姫君をひっそりとお訪ねしたのだった。まず宰相の君に取り次ぎを願ったところ、宰相の君は、「このように立派なお方に、どのようにご返事したらよろしいでしょうか」といってためらったが、「とはいえ、道理知らずと思われるかもしれない」と思い直し、妻度を開けて中納言と対面した。中納言からは、匂いがたちのぼり、離れていてもうつる気がする。若々しい様子で、心をこめておっしゃられることどもが、奥州の夷にもわかるだろうと思われた。

「いつものとおり甲斐がなくても、こんなわけだからと、わたしの納得のゆくお言葉をいただきたい」と中将が責めるので、宰相の君は、「それでは」といいながら姫君の部屋に入って行ったが、中将もそれに続いて入って行ったのだった。宰相の君は、姫君の寝ておられるところへ近寄って、「時々は縁側でお涼みなされませ。あまり閉じこもっていてはいけませぬ」と言って、さらに、「中納言さまがおいでになって、いつものとおり無理なことをおっしゃいます。ですが今日は、思いつめたご様子が、いつもよりおいたわしく見えます。たった一言でよいから、姫の気持ちを聞かせて欲しい、でなければ野にも山にもさまよい出てしまいます、と恨み言を申されるのが、お可哀そうです」と申し上げると、姫君は、「どうしたわけか、気分がいつもならずすぐれないのです」とおっしゃる。

「どうしたのですか」と宰相の君が聞くと、姫は、「いつもはお前がそのわけを私に教えてくれるのに」と言って、動く様子にも見えないので、「では、中納言さまには、ありのままに申しあげましょう」と言って立ち去った。中納言はその隙に、声を頼りに姫のところに近づいたのだった。姫がそれを知って驚いている様子が気の毒なので、中納言は「身の程知らず無礼なことは決していたしません」と言ったが、そう言っている先から、涙がこぼれてくる様は、色男も台無しであった。

宰相の君は、部屋の外へ出て見たものの、人の気配もない。「中納言さまは返事を聞いてからお帰りになられるはずだ、誰かと話でもしているのでしょう」と思って、しばらく待っていたが、結局現れないので、「かえってつまらない返事は聞きたくない、などとお思いになって、出て行かれたのでしょう。お可哀そうに、わたしなら、そんな思いはさせないのに」と思ったようなのだった。だが、そのようにつまらない物思いにふけって、部屋の中の様子に思い至らなかったことは、無思慮なことであった。

姫君は、さすがにお困りの様子だったが、心を強く持って、夜が明けるのを待たれたのだが、中納言のほうでも、さすがに荒っぽいことはなさらなかったのだった。自分の心のうちを知って欲しいと思っているのか。悲しいと思って立ち去るべき気にもならないでいたのだが、「これを人に見られたら、ことありげな噂をされるに違いない」と思うと、姫君が可哀そうだとも思われるのだった。そこで、中将は、「今後も知らぬ顔をなさるおつもりならば、心外に思いますよ。なおも辛くあたろうとさるのですか。人は、私たちのことを、そんなふうにはとらないと思います、と恨み言を言いながら、次のような歌を残して立ち去ったのだった。
  あなたを恨みようもありません、夏の薄絹のように隔てないほど近づいたのに、こんなにつれなくあしらわれては

(解説と鑑賞)

最後の段は、中納言が姫君と顔を合わせるところを描く。それがまた、なんとも間が抜けて、中納言らしくもないのである。

姫君が恋しくて思い余った中納言は、ついに姫君の邸へ赴き、宰相の君に取り次ぎを願った。宰相の君は、中納言に同情して姫の部屋に入り、事情を話して退出したところ、その隙をついて、中納言はまんまと姫君の部屋に入り込んでしまう。だが、姫君は中納言を暖かく迎えるどころか、大いに驚き、声も出ないまま、まんじりともせず夜の明けるのを待っている。それを見た中納言は、無理に姫を抱くわけにもいかず、これもやはり息を呑んで相手の女を見守っている。そうこうするうちに夜が明け、中納言は去っていく。去り際に、恨みタラタラの歌を残して。

というぐあいに、この結末はなんとも間の抜けた感じを与える。




  
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