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逢坂越えぬ權中納言(三):堤中納言物語 |
宮の御覽ずる所に寄らせ給ひて、 「をかしき事の侍りけるを、などか告げさせ給はざりける。中納言・三位など方別るゝは、戲れにはあらざりける事にこそは」 と宣はすれば、 「心に寄る方のあるにや。わくとはなけれど、さすがに挑ましげにぞ」 など聞えさせたまふ。 「小宰相・少将が氣色こそいみじかめれ。何れ勝ち、負けたる。さりとも中納言は、負けじ」 など仰せらるゝや仄聞ゆらむ、中將、御簾の中怨めしげに見遣りたる尻目も、らうらうじく、愛敬づき、人より殊に見ゆれど、なまめかしう恥しげなるは、猶類無げなり。 「無下にかくて止みなむも、名殘つれづれなるべきを、琵琶の音こそ戀しきほどになりにたれ」 と、中納言、辨をそゝのかし給へば、 「その事となき暇なさに、皆忘れにて侍るものを」 といへど、遁るべうもあらず宣へば、盤渉調に掻い調べて、はやりかに掻き鳴らしたるを、中納言堪えず、をかしうや思さるらむ、和琴とり寄せて彈き合せ給へり。 この世の事とは聞えず。三位横笛、四位少將拍子取りて、藏人の少將「伊勢の海」うたひ給ふ。聲まぎれず、うつくし。上は樣々面白く聞かせ給ふ中にも、中納言は、かううち解け、心に入れて彈き給へる折は少きを、珍しう思し召す。 「明日は御物忌なれば、夜更けぬさきに」 とて、歸らせ給ふとて、左の根の中に殊に長きを、 「ためしにも」 とて持たせ給へり。 中納言罷で給ふとて、 「橋のもとのさうびも」 とうち誦じ給へるを、若き人々は、飽かず慕ひぬべく賞で聞ゆ。かの宮わたりにも、 「覺束なきほどになりにけるを」 と、おとなはまほしう思せど、「いたう更けぬらむ。」とてうち臥し給へれど、まどろまれず。 「人はものをや」とぞ言はれ給ひける。 又の日、あやめも引き過ぎぬれど、名殘にや、さうぶの紙あまた引き重ねて、 昨日こそひきわびにしかあやめ草深きこひぢにおり立ちし間に と聞え給ひつれど、例のかひなきを思し歎くほどに、はかなく五月も過ぎぬ。 (文の現代語訳) 帝は中宮のご覧になられるところに近寄られて、「楽しそうなことをしていたのに、何故知らせて下さらなかったのか。中納言や三位の中将が分かれて争っているのは、ただごとではないね」とおっしゃる。中宮は、「それぞれ気にかけている女房がいるのでしょうか。あえて分けたわけではないのですが、やはり張り合っているようですね」とお答えになられる。 帝が、「小宰相と少将の様子が大袈裟なようだ。どっちが勝って、どっちが負けたのか。やはり中納言は負けないだろう」などと仰せられるのを仄かに聞かれたのか、中将は、御簾の中を恨めし気に見やったが、その目つきは上品で愛嬌づいて、人一倍優れて見えた。だが、美しくて立派な点では、中納言の方が格段上であった。 「このまますっかりやめてしまうのは、名残惜しいでしょうから、琵琶の音が聞いて見たいものですね」と、中納言が弁をそそのかされると、弁は「なんとなく忙しくて、皆そのようなことを忘れていましたのに」というのだが、中納言がさらに強く言われるので、弁は琵琶を盤渉調に整えて、軽妙にかき鳴らした。中納言も楽しく思われたのか、和琴を取り寄せて弾き合せられた。 その音調はこの世のものとは思えないほどすばらしい。三位は横笛を吹き、四位の少將は拍子をとり、藏人の少將は「伊勢の海」を歌われた。その声は、楽器の音にまぎれることなく美しい。帝は、さまざま楽しくお聞きになる中に、中納言がこのように打ち解け、心を込めて楽器を弾くことは珍しいものだと思われるのだった。帝は、「明日は物忌みだから、夜が更けぬうちに」といって帰ろうとなさったが、その折に、左方のアヤメの根の中から殊に長いのを、「記念に」といってお持ち帰りになられた。 中納言も帰ろうとして、「橋のもとのさうびも」などと漢詩を口ずさまれるのを、若い女房たちは、熱心に、後を追いかけて行きかねないほどに聞き惚れた。中納言は、あの姫君のところへも、おぼつかないほど御無沙汰してしまったゆえ、訪問したいとも思われたが、「たいそう夜が更けたようだ」と思って横になられた。だが、まどろむこともならず、「人はものをや」という歌の一節をつぶやかれたのだった。 次の日は、菖蒲の節句も過ぎてしまったが、名残惜しく思ってか、中納言は、菖蒲を挿んだ紙を何枚も重ね、その上に次のような歌を書いた。 昨日はアヤメの根っこを引きながらわびしい思いをいたしました、深い恋路に下りたちながら こうは書き贈ったものの、いつものとおり返事もないのを思い嘆くうちに、はかなく五月が過ぎたのだった。 (解説と鑑賞) 帝の臨席の前で、中納言が音頭を取って、一同がそれぞれ楽器を演奏する。曲は「伊勢の海」という催馬楽、この当時流行っていたらしい。 やがて帝が退席されると、一同も散会した。人気のある中納言は、女房たちに家まで追いかけられそうな様子である。 家に帰った中納言はなかなか寝付かれない。そこで、根合わせの様子を歌った歌を姫君に送ったりするのだが、姫君からはあいかわらず何の返事も来ない。 なお、「橋のもとのさうびも」は、和漢朗詠集所載の白楽天の詩から、「人はものをや」は、同じく和漢朗詠集書斎の和歌からとっている。この時代の貴公子にとっては、和漢朗詠集は不可欠の教養書だった。 |
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