日本語と日本文化


逢坂越えぬ權中納言(二):堤中納言物語


中納言、さこそ心にいらぬ氣色なりしかど、その日になりて、えも言はぬ根ども引き具して參り給へり。小宰相の局に先づおはして、 「心幼く取り寄せ給ひしが心苦しさに、若々しき心地すれど、淺香の沼を尋ねて侍り。さりとも、まけ給はじ」 とあるぞ頼もしき。何時の間に思ひ寄りける事にか、言ひ過ぐすべくもあらず。

左の中將おはしたむなり。「何處いづこや。いたう暮れぬ程ぞよからむ。中納言はまだ參らせ給はぬにや」 と、まだきに挑ましげなるを、少將の君、 「あな、をこがまし。御前こそ、御聲のみ高くておぞかめれ。かれは東雲より入り居て、整へさせ給ふめり」 などいふ程にぞ、かたちより始めて同じ人とも見えず、恥しげにて、 「などとよ。この翁、いたう挑み給ひそ。身も苦し」 とて、歩み出で給へり。御年の程ぞ、二十に一二ばかり餘り給ふらむ。 「さらば疾くし給へかし。見侍らむ」 とて、人々參り集ひたり。

方人の殿上人、心々に取りいづる根の有樣、何れもどれも劣らず見ゆる中にも、右のは、猶なまめかしきけさへ添ひてぞ、中納言のし出で給へる、合せもて行く程に、「持にやならむ。」と見ゆるを、右のはてに取り出でられたる根ども、更に心及ぶべうもあらず。三位中將、言はむ方なく守り居給へり。 「右勝ちぬるなめり。」 と、方人の氣色、したり顔に心地よげなり。

根合せ果てて、歌のをりになりぬ。右の講師左中辨、左のは四位の少將。讀みあぐるほど、小宰相の君など、「いかに心つくすらむ。」と見えたり。 「四位少將、いかに。臆すや」 と、あいなう、中納言後見給ふほど、妬げなり。 左
  君が代の長きためしにあやめ草千尋に餘る根をぞひきつる

  なべてのと誰か見るべきあやめぐさ淺香の沼の根にこそありけれ
と宣へば、少將、更に劣らじものをとて、
  何れともいかゞわくべき菖蒲草同じ淀野に生ふる根なれば
と宣ふ程に、上聞かせ給ひて、ゆかしう思し召さるれば、忍びやかにて渡らせ給へり。

(文の現代語訳)

中納言は、あまり気乗りしない様子だったが、その日になって、立派なアヤメの根を持って参上された。まず、小宰相の局に立ち寄られ、「私を無思慮に味方になされましたのが心苦しくて、子どもっぽい行いとは思いましたが、浅香の沼でアヤメの根を採ってきました。どんなことがあっても、負けることはないでしょう」とおっしゃるのが頼もしい。いつの間にこんなことを思いついたのか、女房たちは、いくら褒めても褒めすぎではないと思うのだった。

左方の中將がいらしたようだ。「根合わせをする場所は何処ですか。あまり暮れないうちに行うのが好いでしょう。中納言はまだ来ておられないのですか」と、早くも挑戦的な様子でいる。少将の君は、「あら、おこがましいこと、あなたこそ声ばかり大きくてみっともないですよ、中納言は夜明け前から見えて、準備なさっています」と答えたが、その場へ、中納言が、姿かたちからして並の人とは見えず立派な様子で現れ、「なんですか、この年寄りをあまりいじめなさいますな、身が苦しいので」と言いながら歩み出された。中納言の年の頃は二十二・三ばかりであろう。「では早くはじめてください、見物いたしますから」と言いながら、人々が集まって来た。

左右両手の殿上人が、心々に取り出すアヤメの根の有様は、どれも劣らず立派に見える中でも、右方のが一層なまめかしく見えるのは、中納言の手が入っているためだった。こうして合わせているうち、「引き分けだろうか」と思えたところに、右方が最後に取り出した根が、何ともいえないほど優れていた。それを見た三位中將は、言葉もなく座っていた。右方の人々は、「右が勝ったようです」と言って、皆したり顔の様子である。

根合わせが終ると歌の折り合いになった。右の講師は左中辨、左のは四位の少將。読み上げる間、小宰相の君などは、中納言はどんなに心を込めているのでしょう、と思っているように見えた。左方の人々は「四位少將はどうしたのか、臆したのか」と面白くなく思ったのだが、それは、右方の歌に中納言が手を入れているのが、妬ましいからなのであった。その左方の歌、
  君が代の長さに匹敵するような長いアヤメの根を引っこ抜いてきましたよ
右方の歌
  どうぞこのアヤメの根を見て下さい、浅香の沼にあった根っこなのですよ
こう中納言が歌うと、少将は更に負けまいと、 
  どれがどうと、どうして見分けることが出来ましょう、皆同じく淀野に生えているのですから
こんな風に言いあっているところが、帝にも聞こえ、帝は興味を覚えられて、忍びやかに中宮の局をお訪ねになったのであった。

(解説と鑑賞)

アヤメの根合わせの当日、中納言が浅香の沼からとってきた見事な根っこを持参して会場に駆け付けた。ライバルの中将も遅れてきたが、競技が始まる前から、中納言の方が圧倒的に有利だという雰囲気が会場にはただよう。

果して根合わせは、中納言の味方する右方が勝った。続いて歌合せが行なわれたが、ここでも中納言の味方する右方が優勢である。

遊びの席で、人々が大いに楽しんでいるところへ、その騒ぎを聞きつけた帝が、忍びやかにやって来る。




  
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