日本語と日本文化


蟲愛づる姫君(五):堤中納言物語


童の立てる、怪しと見て、 「かの立蔀のもとに添ひて、清げなる男の、さすがに、姿つき怪しげなるこそ、覗き立てれ。」 と言へば、此の大輔の君といふ、
「あな、いみじ。御前には例の蟲興じ給ふとて、顯はにやおはすらむ。告げ奉らむ。」 とて、參れば、例の簾の外におはして、鳥毛蟲のゝしりて拂ひ墜させ給ふ。

いと恐ろしければ、近くは寄らで、 「入らせ給へ。顯はなり」 と聞えさすれば、「これを制せむと思ひていふ」とおぼして、 「それ、さばれ、もの恥しからず。」 と宣へば、 「あな心憂。虚言と思しめすか。その立蔀のつらに、いと恥しげなる人侍るなるを。奧にて御覽ぜよ。」 と言へば、 「螻蛄男、彼處かしこに出で見て來。」 と宣へば、立ち走りて往きて、 「實に侍るなりけり」 と申せば、立ち走り往きて、鳥毛蟲は袖に拾ひ入れて、走り入り給ひぬ。丈だちよき程に、髪も袿ばかりにていと多かり。すそもそがねば、ふさやかならねど、とゝのほりてなかなか美しげなり。

「かくまであらぬも、世の常の人ざま・けはひ・もてつけぬるは、口惜しうやはある。實に疎ましかべきさまなれど、いと清げに、氣高う、煩はしきけぞ異なるべき。あな口惜し。などかいとむくつけき心ならむ。かばかりなるさまを。」 と思す。

右馬の助、 「唯歸らむは、いとさうざうし。見けり、とだに知らせむ」 とて、疊紙に草の汁して、   
  かはむしの毛深きさまを見つるよりとりもちてのみ守るべきかな
とて、扇して打ち叩き給へば、童出で來たり。 「これ奉れ」 とて、取らすれば、大輔の君といふ人、「この彼所に立ち給へる人の、御前に奉れとて」 と言へば、取りて、「あな、いみじ。右馬の助の所爲にこそあめれ。心憂げなる蟲をしも、興じ給へる御顔を見給ひつらむよ」 とて、さまざま聞ゆれば、答へ給ふことは、 「思ひ解けば、物なむ恥しからぬ。人は、夢幻のやうなる世に、誰かとまりて惡しき事をも見、善きをも思ふべき。」 と宣へば、言ふかひなくて、若き人々、各自心憂がりあへり。

この人々、 「返り事やはある」 とて、暫し立ち給へれど、童ども皆呼び入れて、 「心憂し」 といひあへり。ある人々は、心づきたるもあるべし、さすがにいとほし、とて、   
  人に似ぬ心のうちは鳥毛蟲の名を問ひてこそ言はまほしけれ

右馬の助、   
  鳥毛蟲にまぎるゝ眉の毛の末にあたるばかりの人は無きかな
と言ひて、笑ひて歸りぬめり。二の卷にあるべし。

(文の現代語訳)

庭に立っていた男子が、怪しいと思って、「あの立蔀の傍らに、立派な風情姿なのに、怪しい格好をした人が、こちらを覗いています」というと、大輔の君という女房が、「あら、たいへん、姫君はいつものとおり蟲に夢中になって、姿をさらしているのでしょう」と言いながら、姫君のところへやって来た。姫君は、簾の外に出て、毛虫をののしりながら払い落とさせておられた。

女房は、毛虫があまりに恐ろしいので、近くには寄らず、「お入りなされませ、姿が丸見えですよ」と言ったが、姫君は、「これは自分を制止しようとしているのだ」と思われ、「そんなのかまわない、恥ずかしくないわ」とおっしゃった。女房が、「あら困った、嘘だとおっしゃられるのですか、その立蔀のそばに、たいへん立派な男の人がいらっしゃるというのに。虫を見るのは奥でなさいませ」と言うと、姫は男子に向って、「ケラオ、あっちへいって見て来なさい」と命じられた。男子が走って行って、「ほんとでした」と報告すると、姫君は、毛虫を袖に入れて、走って中に入って行かれた。その姿は、背丈丁度良く、髪も袿ほどの長さで、たいそう豊かである。髪の先を切りそろえていないので、ふさふさとしてはいないが、整っていてなかなか美しく見える。

「こうまででなくても、普通の女が人品や身振りを気取っていれば、それなりに見えるものだ。この姫君は、うとましい格好はしているが、たいへん清らかで気高く、しかも気のおけないところが卓越している。大変残念だ。どうしてこんな変った心を持っているのだろう。こんなに美しい姿なのに」と右馬の助は思ったのだった

右馬の助は、「ただ帰ってしまうのはもったいない。あなたを見ましたよ、とだけでも知らせよう」と思い、疊紙に草の汁で、次のような歌を読んで書いた。
  毛虫の毛深い姿を見て以来、大事に守ってやりたいと思うようになりました
そこで、扇を叩いて合図すると、男子が出てきたので、「これを奉れ」と命じて取らせた。男子が大輔の君という女房に、「あそこに立っていらしたお方が、これを姫君に奉れとのことです」と報告すると、女房は、「あら困った、右馬の助の仕業だったようね、姫が気持ちの悪い虫を見ているところを、見てしまったようですよ」と言って、さまざまに忠告したのだが、姫君がお答えになるには、「悟りきってしまえば、なんの恥ずかしいこともありません、人は、夢幻のような世に生きながら、誰が、悪いことを見たり、善い事を思ったりして、あれこれくよくよできますか」とおっしゃる。それ故、みな言う甲斐もなく、若い人々などは、それぞれ気味悪がっていたのだった。

右馬の助らは、「返事があるかも」と思ってしばらく立って待っていたが、女房たちは、男子らも中に呼び入れて、「気持ち悪い」と言いあっていた。だが中に、返事をしないとまずいと気づいたものがあったのだろう、さすがに気の毒だといって、次のような歌を姫に代って贈った。
  異常だという私の心のうちは、毛虫だというあなたの名を聞いてから打ち明けたいものです

これに対する右馬の助の返事の歌
  毛虫によく似たあなたの眉毛の先ほども、美しい女性はこの世におりません
こう言って、笑いながら帰って行ったようだ。なお、この続きは第二巻で語られるはずだ。

(解説と鑑賞)

女装した男たちが、童に見つかると、姫君は年上の女房に促されて家の中に身を隠す。それがこの段の味噌である。現代の読者には、あまりピンと来ないかもしれないが、この当時には、女が普段の素顔を男の目の前にさらすのは、裸体をさらすのとたいして変わらないほど、恥ずかしいことだったようだ。

見破られた御曹司は、そのまま逃げさるのではなく、置き土産の歌を残した。それには、毛虫好きのあなたを、私は好きですよ、というような言葉が書かれていた。

この歌をめぐって多少のやり取りがあった後、御曹司たちは笑いながら立ち去るのだが、それは、変わり者を相手に、十分に遊ぶことができたという満足感を伴うものだった。




  
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