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「歴史認識」とは何か:大沼保昭・江川紹子


大沼保昭は日本の現代史研究者で、とりわけ戦争責任について論じてきた人だという。学者としてだけではなく、従軍慰安婦問題について「アジア女性基金」の設立に深くかかわるなど、実践的な活動にも取り組んできた。その大沼に対して女性ジャーナリストの江川紹子が、聞き手としてインタビューしたものが「『歴史認識』とは何か」(中公新書)である。

実践的な活動に深く携わったということもあって、大沼の歴史認識は複眼的であろうとつとめているようである。複眼的というのは、日本の立場と日本以外の国の立場を両方とも考慮に入れながら考えるということである。ともすれば従来の議論は、左右に対極化することが多かった。いわゆる左翼は日本を一方的な批判対象として描きがちだったし、右翼は日本を過度に理想化して擁護しがちだった。それらに対して大沼は、日本の批判すべき点は批判する一方、日本にも良いところがあった、とりわけ戦後の平和主義的な行き方には世界に誇るものがあったことを素直に認めるべきだという立場に立っている。

そういう微温的といえなくもない姿勢が、左右両翼の批判にさらされてきた、と大沼は自覚的に語っている。左からは、日本の戦争責任を曖昧にするものだと言われ、右からは、自虐史観だと罵られた。しかし、たとえば従軍慰安婦問題にしても、徴用工問題にしても、どちらか一方に偏った姿勢では建設的な解決策は見つからない。左翼の言うように、日本を一方的な加害者と決めつけては、大多数の国民の理解を得るのはむつかしいし、右のように日本を過度に養護するのは国際社会の理解を得られない。問題を堅実に解決していくためには、日本の悪いところとよいところをともに認めたうえで、現実的な解決策を模索するしかない。そういう意味では、大沼のかかわった「アジア女性基金」は、大沼なりに現実的な解決策を示したということになるが、これも一部から強い反対が出た。とくに、被害者である韓国から強い拒絶反応が出たことは残念だったと大沼はいう。

だからといって中道をさぐっても、なかなか決め手となる解決策は見つからないのだが、何もしないわけにもいかないので、できる範囲でなるべく多くの人の理解を得られる方策を模索するしかないというのが大沼の考えだ。

そこで歴史認識ということだが、それは具体的には、先の大戦についての日本の戦争責任を中心としながら、戦後の日本人が自分たちの現代史にどのように向き合ってきたかを含む限りにおいて、戦後責任の問題だとも言っている。その戦後はいまだに続いているわけだから、大沼の責任論には明確なくぎりとしての終わりはないのである。その意味では、もはや日本人が戦争責任にこだわるいわれはないと声高に叫んでいる一部の勢力とは距離を置いているわけである。

日本の戦争責任については、一応東京裁判が明確にしている。日本はこの裁判結果を国際的に認めたわけであるから、その範囲で自国の戦争責任を公式に認めたことになっている。ところがこれを認めたがらない勢力は存在するし、逆に先の大戦は欧米の植民地主義からアジアを開放するための正義の戦争だったとするような極端な主張もある。そういう主張が国民の間に一定の共感を呼びおこしているのは、日本があまりにも一方的に悪者扱いされているという不満感情があるからだろう。そういう不満感情が、東京裁判に基づく戦争責任論を自虐史観として退ける動機にもなっている。

たしかに、東京裁判は、勝ったものが負けたものを裁いたものであって、一方的な制裁に過ぎない、という見方が成り立たないわけではない。日本の戦争責任が厳しく追及される一方、米国による原爆投下や大都市への無差別爆撃など、法的にも人道的にも許されない行為はまったく問題とされなかった。そういう意味では偏った裁判であることは間違いない。しかしだからといって、日本の戦争責任が免責されるわけではない。日本軍が中国はじめアジア諸国に対して行った殺害行為は一千万人以上の犠牲者を出したとされる。その大部分は何の責任もない一般住民であった。それは否定しようのない事実である。それを棚上げして、勝者の傲慢を非難し、日本を免罪しようとするのは無理筋なことである。

だが、それを前提としても、日本が一方的に悪者にされるのは受け入れがたい、そういう不満が日本人の間に根強くあるのも事実である。そういう事実を踏まえながら、複眼的な視点から戦後責任を含めた戦争責任を考えたいというのが、大沼の基本的な姿勢のようだ。

こういう姿勢は、今の日本の学問風土のなかでは、少数派に属するのであろう。大沼は左右に挟撃される形で、孤軍奮闘といった様子を呈しているようだ。ともあれ、以上のような不満が出てくるのは、日本の戦争責任を対欧米との関係に矮小化して考える癖がついているからだろうと大沼は推測する。東京裁判自体が、実質的には米英を中心とする連合国の中心部隊による敗戦国日本の断罪であり、あくまでも米英など先進国への戦争責任を問題にしたものであった。日本によるアジア諸国への侵略行為はほとんど問題にされなかったのである。中国は当時内戦の最中で、東京裁判にかかわっている余裕はなかったし、直接日本の侵略をうけた東南アジアの諸国は、裁判にかかわることすら許されなかった。そういう枠組の中で、対アジアの諸問題が無視され、もっぱら米英の損害に焦点が当たった。そうした東京裁判のあり方は、日本人自身の戦争責任観にも大きな影響を及ぼした。日本は自国の戦争責任を、もっぱら米英はじめとする欧米の大国との関連で意識し、対アジアの関連で意識することはほとんどなかった。そのことが日本の戦争責任観を矮小化し、しいては戦後責任をも矮小化した原因であると大沼は考えている。じっさいその通りだと思う。日本は対外的には東京裁判の結果を受け入れると見せかけながら、国内的にはそれを自虐史観だといって貶めてきた。つまりダブルスタンダードを使い分けてきたわけだ。そのダブルスタンダードのなかでも、対アジアの関係はほとんど考慮されることがなかった。そうした一面的な姿勢が、今日中国や韓国との間で、いわゆる歴史問題を引き起こす原因となっているのであろう。

なお、聞き手の江川紹子は、オウム真理教事件で名をならしたジャーナリストだ。歴史認識問題については、あまりかかわりがなかったそうだが、従軍慰安婦問題をめぐって日本の影響力ある政治家たち(橋下とか石原)が聞くに堪えない暴言を吐くのを見て、強い関心を持つようになったと言っている。



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