日本語と日本文化


忠度最期:平家物語巻第九


一の谷の戦いでは、平家一門の多くが死んだり生け捕りにされたりした。その中で、死に様がとりわけ人々の涙を誘ったものとして、平家物語はいくつかの挿話を挟んでいる。「忠度最期」もその一つである。

忠度は、都落ちするにあたって藤原俊成を訪ね、自選の和歌集を託していたが、その後も折につけて読んだ歌を、紙に書いて持参していた。その歌が、戦場で殺された際に、自分の身分を明かすしるしとなる。

忠度が、源氏の兵に値踏みされて、功名のために殺されたのは、鉄漿のせいだった。彼は誰何に対して、源氏の味方だと身分を偽り、その場を逃れようとするのだが、鉄漿をしているところを見咎められ、源氏にはそんなものはいないから、きっと平家の公達に違いないと見破られるのだ。

肝を据えた忠度は、一人で源氏と戦い、ついに力尽きて殺される。その戦いに当たって、味方の兵は誰一人手助けしない。平家軍は諸国の傭兵ばかりで、平家に忠誠心を持ったものなどいないからである。

~薩摩守忠度は、一谷の西手の大将軍にておはしけるが、紺地の錦の直垂に黒糸おどしの鎧きて、黒馬の太】たくましきに、沃懸地の鞍置いて乗り給へり。其勢百騎ばかりが中にうちかこまれていと騒がず、ひかへひかへ落ち給ふを、猪俣党に岡辺六野太忠純、大将軍と目をかけ、鞭あぶみをあはせて追つき奉り、「抑いかなる人で在まし候、名のらせ給へ」と申しければ、「是は御方ぞ」とてふりあふぎ給へるうちかぶとより見入れたれば、かねぐろ也。あッぱれ御方にはかねつけたる人はない物を、平家の君達でおはするにこそと思ひ、おしならべてむずとくむ。是をみて百騎ばかりある兵共、国々のかり武者なれば、一騎も落ちあはず、われさきにとぞ落行きける。

~薩摩守「にッくいやつかな。御方ぞといはばいはせよかし」とて、熊野そだち大ぢからのはやわざにておはしければ、やがて刀をぬき、六野太を馬の上で二刀、落ちつく所で一刀、三刀までぞ突かれたる。二刀は鎧の上なれば通らず、一刀はうち甲へつき入れられたれ共、薄手なれば死なざりけるをとッておさへて、頸をかかんとし給ふところに、六野太が童遅ればせに馳来ッて、打刀をぬき、薩摩守の右の腕を、ひぢのもとよりふつと斬り落す。今はかうとや思はれけん、「しばし退け、十念となへん」とて、六野太をつかうで弓だけばかり投げのけられたり。其後西に向ひ、高声に十念となへ、「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」との給ひもはてねば、六野太うしろよりよッて薩摩守の頸をうつ。

~よい大将軍うッたりと思ひけれ共、名をば誰とも知らざりけるに、箙にむすびつけられたるふみをといて見れば、「旅宿花」と云ふ題にて、一首の歌をぞよまれたる。
  行きくれて木の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし 忠度
とかかれたりけるにこそ、薩摩守とは知りてンげれ。太刀のさきにつらぬき、高く差し上げ、大音声をあげて、「此日来平家の御方に聞えさせ給ひつる薩摩守殿をば、岡辺六野太忠純がうち奉つたるぞや」と名のりければ、敵も御方も是を聞いて、「あないとおし、武芸にも歌道にも達者にておはしつる人を、あッたら大将軍を」とて、涙をながし袖
をぬらさぬはなかりけり。


忠度は、歌を歌う風流人である一方、武将としても逞しかったと語られるところが、この章のポイントだろう。


  
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